愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

幸せだったむぎ

2021-07-08 21:54:57 | 追憶のむぎ

 今日は先住コーギー犬であるむぎの命日だ。 スマホに登録してあるので知らせがきた。
 10年前の今日、むぎが旅立ち、9日後にルイが生まれている。 さらにそれから2か月後、ルイはわが家の子になった。

 同じウェルシュ・コーギー・ペンブロークでありながら、むぎとルイは実に対照的である。まず、身体の大きさが正反対だ。むぎは小さく、ルイは大きい。性格的には、女の子と男の子というちがいがかかわっているかもしれない。パピィ時代、ムギはひたすらおとなしかったが、ルイはヤンチャで悪さばかりしていた。元気でヤンチャなルイに迷惑をこうむったのは、16歳から17歳になったミックス犬のシェラだった。

 ぼくたちに溺愛されいたシェラは、4歳のある日、突然、むぎを押しつけられた。だが、12年間、それは見事に母犬として生き抜いた。
 2代目コーギーのルイも目の前のシェラを母犬にしようとした。だが、おとなしかったむぎと違ってルイは、高齢犬だったシェラの手に余った。

 それでも、むぎの母犬であったように、シェラはルイも受け入れようとしていた。シェラが心を開くと、ルイはたちまち乱暴な遊びに引きずり込もうとする。そして、ぼくにこっぴどく叱られるのである。

 ルイがシェラといっしょに暮らしたのは5か月ほどだったが、シェラを守るため、家にいるときはずっとサークルの中がルイの居場所だった。
 むぎも当初はサークルのなかで寝起きしていたが、これはむしろ、万一に備え、むぎをシェラから守るための措置だった。もちろん、なんともばかばかしい杞憂に過ぎないとすぐに気づいた。

 むぎは、生まれて2か月後に母犬から離されたものの、すぐにシェラという情の深い母犬を得て、死ぬまでずっとそのシェラに守られて生きてきた。なんという幸せな一生だっただろうと思う。

 むぎの12歳の生涯は、長命とはいえないが、それから7か月後にシェラがガンで逝っている。あれほどシェラという母犬を頼って生きてきたのである。シェラより少し先に逝けてよかったと確信している。

骨になっても可愛いと思う

2011-08-24 22:48:39 | 追憶のむぎ

テントサイトで爆睡中のむぎ。キャンプへいくとコーギーらしさを発揮して頼もしく見えた。

☆うちの子も……
 午後、会社の中で同僚の女性に呼び止められた。社内で唯一のわんこ仲間であり、ときどきわんこの写真を見せ合っていた。
 だから、むぎの死を彼女にだけは伝えていた。彼女の愛犬もまたガンで明日をもしれない状態と聞いていたからである。

 「ウチの子も死んじゃったんですよ」
 悲しげな言葉の奥に、すでに覚悟をしていた人ならではの諦観があった。むぎのように予測もしなかった突然の死も悲しいけど、病気で命を削る姿を見守らざるを得ず、ずっと覚悟していた挙句に見送らなくてはならないのも、これまた辛いだろうと思う。
 
 彼女の場合、野良を引き取って面倒をみていたので正しい年齢は不明だったが、推定で13歳くらいだろうということだった。亡くなったのは11日だったそうだ。
 「小さな骨になってしまって……。ほんとうに、お聞きしていたとおり骨になっても可愛いんですね」
 それはぼくが彼女に教えたことだった。

☆こんなに小さな骨だったんだね
 むぎが死んだとき、むぎの遺体を写真に撮って残そうなどと思いもしなかったのに、むぎの骨は写真に残してある。荼毘に付して骨だけになってしまったむぎを、葬儀場の担当さんは丁寧に説明しながら目の前に整えてくれた。ちゃんとむぎの姿がよみがえった。
 骨になっても、むぎはやっぱりとっても可愛らしかった。骨だけのむぎも、いかにもむぎらしい可愛さだった。

 ぼくは持参していたiPhoneのカメラで骨のむぎを何枚も写した。
 「かわいいなぁ、おまえは骨になってもこんなに可愛いんだな」と、何度も語りかけながら……。
 こんなにも小さな骨で走り、飛びついてくれていたのか、あのデブな身体を支えていたなんて……と驚くほど小さな、それは小さな骨ばかりだった。改めて並べてみると、そのフォルムに愛しさが募る。

 そんな話をしながらぼくは同僚の女性に骨のむぎを見せた。最初はギョッ! としていた彼女だったが、イヌに愛情を注ぐ同士、すぐに理解してもらえた。
 同じように失った愛犬の骨を目の当たりにして、彼女もまたぼくの「骨になっても可愛い」という実感をわかってくれたらしい。
 
 とはいえ、他人様にはやっぱり気持ちのいいものではないだろうからここには写真を載せないが、飼い主には骨さえも可愛くてならない。
(もし、ご覧いただけるなら、「お骨になったむぎ」に置いてあります)


だから心残りになってしまった

2011-08-10 12:59:22 | 追憶のむぎ
 連日のめくるめく烈日の真夏日である。
 寝る前に窓を開け放って風を迎え入れ、エアコンを止めると、すぐさまシェラが呼吸を荒くして、「暑いじゃありませんか」とばかりのアピールにやってくる。リビングルームの、エアコンからの冷たい風が直接降りてくるソファーの裏がシェラの夏の定位置になっている。

 いまや、シェラはすっかり「冷房犬」と化してしまったが、むぎは暑いとか寒いとかでわれわれにアピールするようなことはなかった。暑さで音(ね)をあげるシェラの横で耐えていた。キャンプでも、写真のようにシェラは日陰に避難するが、平然と日なたにいた。



 下の写真のように、いつまでも日なたで爆睡していたので、こちらが心配になって連れ戻しにいくことも再三だった。あんな日なたで寝るなんて、シェラだったら5分と耐えられなかっただろう。


 それも真冬になると一変する。
 シェラが元気全開になって舞い上がる横で、むぎは明らかに寒さにたじろいでいた。雪の日の散歩まで嫌うほどではなかったが、積もった雪に狂喜して暴れるシェラの姿につられて興奮はするものの、雪そのものを喜んでいる風情は感じられなかった。家の中でも、真冬の夜は家人の布団の中に潜りこんでいったくらいである。
 もし、むぎの直接の死因が熱中症だったとすると、「むぎは暑さに強い」という先入観からのわれわれの油断だった。


 同じマンションのわんこ仲間に、唯一のコーギーがいる。朝はご主人が、夕方は奥さんが散歩に連れていくのはわが家と同じだが、微妙に時間帯がずれているので、遠くから姿を見かけることがたまにあっても、なかなかお会いできないでいる。 
 昨日の朝も、だいぶ距離はあって挨拶もままならないほどだったが、いつも二匹連れのぼくが一匹しか連れていないのに気づいてその場で待っていてくれた。
 まして、コーギーのほうが見えないから、なおさら気になったのだろう。

 「実は先月、突然……」
 何度となく繰り返してきた説明をする。家人はいまだにそれが辛くてならないとこぼす。
 話しているうちにこみあげてきてしまうのだという。話をするほうも辛いが、聞いてくれるほうだってお悔やみの言葉のひとつもいわなくてはならないのだから、気にしてもらえただけでもありがたいとぼくは思いたい。
 
 「そうですか。それはお寂しいですね。この子も見るからに寂しそうな顔をしてる」
 そういわれて振り向くと、たしかにシェラはみたこともないような寂しさを顔ににじませて立っていた。
 目の前のコーギーは、男の子だし、見かけもむぎとは趣を異にしているが、やっぱり、シェラは同じコーギーというだけで、自分の前からいなくなってしまったむぎを連想してしまうのだろうか。

 あちらのコーギーは、まだ8歳で見るからに元気いっぱいである。だが、ガンを患い、手術で克服して生還した。むぎも二度入院を経験して、そのうちの一度は腎臓結石の手術をしたが、ガンのような大病は患っていない。
 とはいえ、お医者さんのお世話になった頻度はシェラよりはるかに多い。シェラもむぎもペット保険に入っていて、シェラはほとんど使っていないが、むぎは何度となく保険を使ってきた。

 それでも、たいした病気もせず、おおむね健康でいてくれたのだからやっぱり親孝行な子だったと、いま、あらためて思う。だからこそ、早めの別れがなんとも心残りでならないのである。
 マンションで唯一になってしまった8歳のコーギーが、むぎの分まで長生きしてくれるようにと祈らずにはいられない


うれしくて涙

2011-08-04 22:19:28 | 追憶のむぎ

 あの子はほんとうの可愛かった――他人からのそんな褒め言葉が、いまとなっては大きな慰めとなって寂しさという隙間風に震える心を慰めてくれる。

 家人の友達が、むぎがお世話になっていた動物病院(シェラは相変わらずお世話になっている)の元スタッフの方とたまたまおつきあいがあり、むぎが死んでしまった話をしたそうである。
 その方はたいそう驚いて、「あの子は特別可愛いコーギーだった」といってくださったという。ぼくたちへの思いやりだったとしてもうれしい心くばりである。
 そして、この言葉をぼくと家人はお世辞とは思わず、額面どおりに受け取った。

 むぎがいちばん可愛い顔みせてくれたのは、病院でぼくたちの手から離れ、つかの間、奥のレントゲン室や処置室へ連れていかれて戻ってきたときだった。むぎはいつもスタッフの方に抱かれて帰ってきた。
 キョトンとしたその顔が見慣れているはずのむぎでありながら、このときはとりわけ無性に可愛く見えたのは、頼みのシェラから離され、ぼくたちの顔も見えない場所でわけもわからずいじくりまわされて緊張感を強いられ、あげく、知らない人に抱かれて連れてこられたための驚き顔だったからかもしれない。

 むぎのみならずシェラさえもまた同じだった。20キロからある体重のシェラはさすがに抱かれてはこないが、リードで引かれて待合室へ戻ってきたとき、やたら可愛い顔に変わっている。
 これはきっと愛情を注いでわんこを飼っておられるすべての方が体験ずみなのではないだろうか。

 いまだから、恥ずかし気もなくいってしまえば、病院の待合室で、ウチのそんな子を、「なんて可愛いんだろう」と何度思ったことだろう。いつも以上に「ウチの子は特別だ」と、とことんうぬぼれることができた。
 世のすべての飼い主の例外にもれず、まさしく、「ウチの子は世界一」である。 

 だれであれ、「あの子は特別可愛い」といっていただいたこで家人もぼくもとても救われている。それを、家人の友達は彼女に伝えるべきかどうかで大いに迷ったという。 また、新たな寂しさのスイッチを入れてしまうかもしれないからだ。
 「そんなことはないわよ。とってもうれしいし、どれだけあの子の供養になったかわからない。ありがとう」
 家人は心からの謝辞を友に伝え、元スタッフの方にもことづけた。

 ぼくもまたうれしい。
 
   むぎ、よかったね。
   きみがウチの子だったことをいつまでも誇りに思っている。
   いま、ぼくの目に滲んでいるのは悲しみではなく、
   うれしさの雫(しずく)なんだよ。



もう一度抱きしめたい

2011-07-20 23:03:35 | 追憶のむぎ

 この憂愁の行き着く先はあるのだろうか。

 おりにふれてこみ上げる寂しさをいかんともしがたい。身体の一部を……いや、心の一部をもがれたような苦い喪失感がジワリと広がる。

 むぎを失って12日、なんと長い日々だったろうか。そこかしこにあの子の面影を見て、あるいは感じて、そのたびに喪失感を噛みしめる。手に記憶されたあの子の身体の感触がよみがえるたびに不覚の涙がこみ上げる。

 今朝は、台風の余波で散歩は小雨の中だった。ブルーの雨具がよく似合う子だった。何度、「わぁ、かわいい!」とほめられただろうか。そんなむぎが誇らしかった。

 色違いの雨具をシェラに着せて出かけた今朝の散歩で、久しぶりに行き会った近所のわんこ仲間の奥さんから、「あら、きょうはコーギーちゃんはどうしたの?」と声をかけられた。説明するのも辛く、むぎの訃報に驚く相手に気遣いながら、生前中のお礼を述べる。

 喪失感にさいなまれている自分の心を悟られまいと笑顔で対して疲れていく。
 「そうだったんですか。それはお寂しいですね」との慰めに、「大丈夫です。ありがとうございます」とまたつくり笑顔で答えてその場を去る。たちまちにして寂しさがのしかかってきて心が折れてしまいそうになる。

 Facebookの仲間のある方が、ご自分の体験に照らして、「もしかしたら親よりつらいかもしれない」と慰めてくれた。そう、親のときとはまた別の悲しみがある。そんな同じ感情を共有してもらえて救われた。

 しかし、わがことながら、もうこれは立派な「ペットロス症候群」じゃないかと思う。よもや、自分がペットロスで、ひとり密かにとはいえ煩悶するとは……。
 悲しみはいずれ時間が解決してくれるというのは真実だろう。だが、時間の経過とともに深まる愁いもまた厳然としてある。愁いとの決別に、どれだけの時間を必要とするのだろうか。

 なによりも、むぎの苦痛に気づいてやれなかった自分の迂闊さが心残りとなっている。もう一度、元気なむぎを抱きしめて頬ずりしたい。