愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

きみはもういなくなってしまうんだね<1月30日>

2012-01-31 21:57:59 | がんばれ、シェラ!

☆漏らしてしまったのを知らせにきたのかい
 半開きのドアを引っかく音で振り向くとシェラが立っていた。
 風呂から上がり、自分の部屋のPCでメールやフェースブックのチェックをしているうちにもう午前12時半を過ぎてしまった。そろそろ切り上げて寝なくてはと思っていた矢先だった。
 風呂へ入る前に散歩着に着替え、廊下で寝ているシェラに、「散歩へいこうよ」と何度か声をかけてみた。いかにもけだるそうに薄眼を開けてぼくを見るが、まったく動く様子がない。こうなったら、明け方だろうがなんだろうが、シェラの催促があったら応じてやればいい。よしんば、家の中でやってしまってもいいじゃないかと家人と話し、夜の散歩はいかないで風呂へ入ってしまった。
 
 シェラの体調の状態から、わざわざ呼びにくることがぼくには意外だった。「わかった。すぐにしたくするからな」といって部屋を飛び出す。先ほどまでシェラが寝ていたあたりの床の、シェラが歩くときの滑り止めのためのカーペットが濡れていた。その滲みの大きさからみて、失禁したというより漏らしてしまった程度であり、それを教えにきたのかもしれない。ぼくの部屋の前の、シェラが立っているあたりの床もいくらか濡れていた。
 
 その健気さに涙がこみあげてきた。遠慮なくやってしまえばいいものを……。
 風呂へ入っていた家人が慌ただしく出てきて、ぼくの話を聞いてやはり泣いた。ぼくたちのただならぬ気配にルイがケージの中で烈しく鳴いている。
 
 このルイもまた、シェラに迫る異常さを察知してナーバスになっているようだ。ぼくが風呂へ入る前に、ケージから出してやったのに、家人の脇に寄り添うだけでまったく遊ぼうとしないのである。いつもなら、ケージから出せばたちまち突貫小僧と化して部屋の中を全力疾走して、閉じ込められている鬱憤を晴らすのに……。どこか身体の具合が悪いんじゃないかとぼくも家人も本気で心配したほどだった。
 
☆延命はしないでいいよな
 シェラがもう歩けなくなるだろうと思い、マンションの構内の移動に使うクレートの上部を外し、夕食後に風呂場で洗って干しておいたばかりだった。上部を外せば、シェラを抱いて乗せることも容易である。さっそく使ってみるとなかなか調子いい。もっとも、シェラのほうは寄りかかるところがないので戸惑っている。
 そのまま外へ連れ出し、いつもオシッコをする場所までいって下ろしてやった。クレートの上半分を外しても、20キログラムの体重をなんとかするには、やっぱり家人ひとりでは無理だとわかる。

 冷たい風が吹く中で、シェラはオシッコをすませ、よろけながら少し移動してじっとしている。こういうときのシェラはたいてい便意を催すのを待っているはずだ。
 ぼくはシェラを抱え上げ、30メートルほど先の、シェラが好んでウンコをする場所まで運んでいった。そこでもシェラはしばらく立ち尽くしていたが、待っていた便意は湧いてこなかったらしい。
 
 家に戻り、玄関へと抱いて運んだ。足を拭いてやろうにも、すっかり腰が砕けている。家人がシェラの身体を横に寝かせ、形だけ足を拭いた。口臭がまたいちだんときつくなっている。毒素が身体をまわっているのだろう。水を持ってきて口の前に置いてやったが横を向いてしまった。


☆もう覚悟はできている
 シェラが嫌がるので途中でやめてしまったが、まだ数回分残っている点滴液のことが頭をよぎる。
 「点滴、やらないでいいよな」
 ぼくは家人に確認した。「もうやめて」と家人も同意してくれた。
 この期に及んで、ぼくたちはシェラの身体のバックギアを入れたくない。苦悶しているわけではないのなら、もう、シェラの天命に従い、あるがまま、なすがままに見守り、静かに送ってやりたい。ぼくたちが別れの覚悟を決めるだけの時間をシェラはじゅうぶんがんばって生き延びてくれた。

 午前2時、せがれが心配してきてくれた。朝までシェラの横で寝ようと思っていたが、「いいよ、オレが見てるから……」というせがれにシェラを託し、ベッドで寝ることができそうである。「なんかあったらいつでも起こしてくれ」
 午前4時過ぎ、ルイの鳴き声で目が覚め、のぞきにいくとまだせがれがシェラに付き添ってくれている。2時間後の午前6時、起きていくと彼が徹夜でシェラを見守ってくれていたことを知る。シェラはリビングでウンコをしてしまったらしい。それでルイが騒いだのだろう。
 「下痢してるからがんまんできなかったらしいよ」という報告を聞き、一晩付き添ってくれたことへの礼をいった。

 だが、これは31日に待っていた波乱の序章に過ぎなかった。


旅立つときはむぎが迎えにきてくれるだろう

2012-01-30 23:01:40 | がんばれ、シェラ!

☆すっかり萎えてしまった足
 シェラが歩けなくなるのは時間の問題だろう。立っているのがやっとで、歩くとなると一歩一歩がかなり負担になっている。かわいそうなのは、オシッコやウンコの姿勢が容易にとれなくなりはじめていることだ。力を振り絞ってそれぞれの態勢を取るが、終わるとよろけてしまう。これからは手を添え、支えてやらなくてはならない。外へ出て排泄ができるのもそろそろ限界だろう。
 今朝、そんな歩き方のシェラにぼくはとうとうカメラを向けることができなかった。

 意識もときおり、はっきりしていないのではと思うことがある。混濁とまではいかないが、ぼんやりしてしまうらしい。せめてもの慰めは、苦しげな表情を見せないでいてくれることだ。
 本当は苦しいのかもしれない。それを悟られまいとしてがまんしていることも考えられる。犬は痛みを隠す習性があると聞く。シェラならじゅうぶんに考えられる。

 あるいは、もう感じなくなっているのだろうか。ついこの間まで、ときおり、いかにも気分悪そうにしていた様子がこのところ見えなくなっている。ひとことでこのところのシェラの様子をいうと、「うつろ」になってしまった。

 昨日の昼間などひたすら寝ていた。ぼくが休みとわかるとどこか外へいきたくて落ち着かなかったのに、そんな意欲も鳴りをひそめてしまった。こみ上げてくる悪心に顔を曇らせていたころのほうがまだ生命力があった。


☆このがんばりはむぎの分かな
 それにしても、よく1月末までがんばってくれたものだと思う。腎臓が受けたダメージの数値からいって早ければ1週間から2週間の命と宣告され、新しい年をともに迎えるのは無理だろうと半ば諦めたものだった。それが、とうとうここまでがんばってくれた。
 すべてはシェラの強靱な生命力のおかげである。むぎがあっけなく旅立ってしまった分、シェラが踏ん張ってくれたのだろうか。

 日曜日の夕方、シェラとルイを家に連れ帰って晩ごはんを食べさせ、ふたりを置いて家人を迎えにひとりでクルマを走らせた。シェラもルイも乗せていないのに、リアシートには濃密な気配があった。しかも息づかいからシートにすれる音まで聞こえるのである。
 ぼくにはシェラのビジョンとしか感じなかったが、ふと、むぎではないかと思いいたった。控えめな子だったし、いつもシェラの陰に隠れていたような子である。

 「おい、そこにいるのはむぎちゃんかい? きてくれたのか? どこへもいかずにずっといてくれたんだよな。シェラちゃんがいないとどこにもいかれないもんな。いいんだよ、ずっとシェラちゃんのそばにいてやってくれよ」
 ぼくはクルマを走らせながら背後の気配に語りかけた。


☆ますますむぎに会いたいよ
 自分ではリアリストのつもりでいるから、これまでは霊魂の存在や超常現象などを頭から信じてこなかった。そういう意味では、われながらなんとも無味乾燥な人間だと思うが、幽霊を見たこともなければ、超常現象に遭遇したこともないのだからしかたない。

 それなのに、むぎだけは感じるのである。これで二度目だろうか。それがむぎかどうかはわからないし、むぎだという確証もなければ、明確にむぎの気配というわけではない。ただ、何か不可思議な存在を感じる。むぎ以外ぼくには思い当たるものがない。

 クルマの背後の気配は、ぼくが話しかけるとスーッと消えた。あれほど明瞭だった音もそれきり聞こえなくなった。ぼくが気づいたことで満足してくれたのだろうか。静まってしまうと妙に寂しい。
 むぎならば、気配だけじゃなくて姿も見せてほしい。どんな形でもいい。たとえば、夢の中でも……。

 いま、シェラが旅立とうとしているこのときこそ、ぼくはむぎに会いたい。先に逝ったむぎにシェラを託したい。
 シェラが旅立つときは、かつてふたりがもつれながらうれしそうに遊んでいたあの日のままに、まるで本当の親子のように寄り添い、連れだって去っていく姿を見送りたい。
 むぎの霊力を借りて、夢の中でいいから……。


急激なシェラの衰えに寒さがいちだんと身にしみる

2012-01-29 22:24:21 | がんばれ、シェラ!

☆吐いたのは食べ過ぎたから?
 今日のシェラはかなり状態がよくない。昨日から低下はしているが、今日は朝からガクンとコンディションが落ちた。朝もルイのケージの近くに吐いていた。
 嘔吐がシェラのコンディションのバロメーターなので想定しているし、それなりの薬ももらっている。食欲の減退や頻繁に吐くようになれば、さらに悪化が進んでいるということになる。

 このところ、朝のご飯は食べない(食べられない)が、昼過ぎになると食べるという状態に変わっている。昨日は家人が久しぶりに主宰する店に出てぼくがシェラとルイの面倒をみた。出かける前の家人が作った朝ごはんはほんの申し訳程度に口をつけたがやっぱり食べなかった。昼過ぎにぼくのところへやってきたシェラの顔に、「お腹がすいた」と書いてあった。家人から託されていた二種類のウェットフードを混ぜて与えるとむさぼるように食べた。
 
 夕方の散歩から帰ったあとには吸着剤を飲ませなくてはならないので少なめのウエットフードに混ぜて与えるときれいに食べてくれた。しかも、何気なくルイのドライフード(子犬用=離乳期~12ヶ月齢用)をやってみると、これまたむさぼるように食べる。よほど美味しかったのだろう、カップ1杯分くらいを食べた。食べすぎて今朝の嘔吐になったのではないかと疑ったが、どうやらそれだけではないらしい。


☆父さんを気遣ってくれるのかい
 昨日は一週間分の疲れがどっと出た土曜日だった。家人を店まで送り、近所で蕎麦を食べてから家に戻るとソファーに横になって寝てしまった。シェラが寄ってきてソファーの下で寝てくれた。
 自分の身体が不安でぼくの近くにきたというより、ぼくを気遣って、「お父さん、大丈夫?」といわんばかりの目でやってきた。ぼくは手を伸ばし、「心配ないよ。あとで散歩にいくからな」といって頭を撫でてやった。

 散歩に出たのは3時過ぎだった。凍えるほどの寒さに身体がすくむ。家人がいないのでシェラもいまひとつ元気がない。いまやすっかり「お母さんのシェラ」になってしまっている。そりゃそうだ、もうずっと終日をシェラと一緒にいて世話しているのだから……。

 シェラが元気のでる場所ということで鶴間公園へ出かけた。いつもはアウトレットモールの「グランベリーモール」から向かうのだが、今日は公園の駐車場にクルマを停めてルイとともに歩いた。まず水を飲み、ゆっくりと歩き出す。ときどきじっと立ち止まる。そのたびにじれたルイが暴れ出すのを制しながらの散歩である。

 いつ歩けなくなるのかをハラハラしながら歩いたが、途中でシェラがどこへ向かっているのかがわかった。グランベリーモールである。シェラの頭の中のイメージはあそこのいきつけのカフェだったのだろう。
 
 だが、ぼくひとりでシェラとルイを連れていき、また公園の駐車場へ戻る自信がなかった。「(グランベリーへ)いきたい」というシェラをなだめながらクルマへ戻り、シェラだけクルマに残してルイと再び散歩に戻った。せっかくの公園で不完全燃焼のまま連れ帰るのがあまりにかわいそうだったからだ。


☆もう心配をかけないからね
 吐いただけあって、今日のシェラは朝からだるそうにしている。朝の散歩では元気がないなりに自分の意志で50メートルほど歩き、ウンコもした。口臭がかなりきついと家人がいう。ぼくも散歩のためのハーネスを着けるときに感じていた。

 腎不全からくる毒素が増えての口臭であろうが、これがはじめてではない。においが強くなっているのはたしかであり、昨日からのいかにもだるそうなのはこのせいだとわかる。
 このところ、だいぶシェラに心配をかけてしまった。彼女が心安らかに最期を迎えることができるように気をつけないと……。
 
 シェラが3時近くまで寝ていたのと、外の寒さに怖気づいて散歩に出かけたのはかなり遅くなった。クルマでグランベリーモールへいく。昨日、シェラがいきたがっていたのでお茶をしようというわけだ。だが、カフェへいく前の散歩で挫折した。凍えるような風にとてもじゃないけどテラス席でまったりなんかできない。


☆まだ最悪にはなっていないよね
 ふたりを連れてひとまわりしてクルマに逃げ込み、家の近くのスーパーで買い物をして終わった。今日は夜にいたるまでまったく食べなかったシェラだが、家の戻り、晩ごはんをやると量は少ないがようやく食べてくれた。気休めに過ぎないとはいえ、まだ最悪の状態の手前にとどまってくれているのを知りうれしくなる。

 ぼくたちが夕飯を食べていると、終わり近くなってシェラがのぞきにきた。家人は喜んで自分の食事を放り出し、シェラのためにご飯をベースにしたエサを作って出してやる。だが、シェラはにおいをかぐだけで食べようとしない。じれた家人が手ですくって食べさせる。だいぶ目も見えなくなっているらしい。


 ごはんを食べたせいか午後9時半になって外へいきたそうなそぶりを見せるが、遠慮がちなのでなかなか判別できない。冷たい風の外へ連れていくとオシッコに続き、ウンコもやった。こうした夜の散歩もまた至福のひととき。
 かくして1月最後の日曜日が更けていく。


いまシェラを襲う犬がいたらぼくは容赦しない

2012-01-27 21:48:27 | がんばれ、シェラ!

☆うちの子は特別だと思いたい
 犬を愛する人ならだれもが犬の持つ高い能力を知っている。
 人間と言葉を介しての意思の疎通はできないが、言葉など介さずともちゃんとこちらの気持ちを理解してくれる。もっとも、犬のほうは人間の言葉をかなり理解しているから、うかつなことはいえない。飼い犬を見くびってヘタなことをしゃべると、「愚かな主人だな」と犬から侮られることになる。 
 
 そんな犬とくらべたらはるかに劣るものの、人間のほうだって愛犬の気持ちがわかるのだから、やっぱりお互いにそれなりの能力を有しているということだ。もっとも、飼っている犬の気持ちなどさっぱりわからない飼主も少なくない。人間は愛情がなければ犬の気持ちなどわかるはずもない。だが、犬のほうは飼主へ例外なく愛情を捧げているからどんな飼主でも犬には筒抜けになっている。
  
 犬がこうした特殊な、そして高い能力を備えていることを愛犬家(犬を飼い殺しにしているような輩にはさっぱりわからないだろうが)ならだれでも知っている。もし、勘違いがあるとするならば、「ウチの子だけがおりこうな犬」という思い込みである。わかっていても、やっぱり「うちの子は特別だな」と思いたい。


☆なぜ、このルートをいこうとするんだい?
 昨日、そして今日、朝のシェラのがんばりを目にすると、ぼくには、「お父さん、がんばろうね!」という彼女からのメッセージが聞こえてくる。「わたしだってこんなに頑張ってるんだよ」と……。
 萎えてしまった足でよろけそうになりながら、ときにはよろけながら、シェラは今朝も目をみはるほどの距離を歩いてみせてくれた。
 
 不思議なのは、昨日とは反対の方角へと自分の意思で歩き出したことだ。この方角は去年までの元気だった当時のルートになる。ここではシェラを天敵のように狙う秋田犬とときおり遭遇する。シェラはそれを嫌がり、いかなくなったいきさつがある。
 この秋田犬にシェラは二度にわたって襲われた。最初は不意を衝かれて背中を噛まれた。二度目はぼくが割って入りことなきをえたが、いずれも飼主のオヤジがわざとリードを放して襲わせたのではないかとぼくはいまも疑っている。
 
 体力の衰えとともにこのコースを嫌がったのは、この秋田犬の影に怯えたことも理由のひとつだった。シェラを見つけ、わざと近づいて威嚇する飼主にぼくは警告している。
 「三度目は、その犬をぼくが殺しますよ」
 本気ではないが、それくらいいわないとまた同じことをやりかねない見るからに愚昧そうな男である。
 
 とはいえ、体力の衰えたシェラやむぎを守りながら獰猛な犬と戦うのはぼくにも大変な負担になる。シェラがこのコースを嫌がり、やがて拒否するようになったのを潮にもう1年近く近づいていない方角だった。 


☆もし、三度目の襲撃があったなら…
 そんな方角へ歩き出したシェラをぼくは、「もういい。無理するなよ……」といって制した。すっかりやつれてしまった姿がぼくにはなんとも忍びなかった。すでに昨日と同じくらいの距離をきてしまい、帰り道をよろけながら引き返した。シェラはぼくの顔を見返すこともなかったが、たどたどしく歩く彼女は、ぼくを元気づけようとしているとしか思えない。
 
 犬の能力を知らない人からは、「そんなバカな。あんたの思い過ごしだよ」と揶揄されるだろうが、それでもぼくはもう二度と、「シェラ、疲れたよ」などという弱音は吐くまいと心に決めた。そして、自分の身体もままならないシェラを心配させてしまったことをいまは激しく恥じている。
 
 よろけて歩くシェラを見て、あの秋田犬の飼主なら、「しめた!」とばかりまたリードを放すに違いない。いま、もし、あの秋田犬が襲ってきたら、シェラとルイを守るためにぼくは全力で戦い、躊躇せずに締め殺してしまうだろう。互いの不幸を招かないためにも、今朝、途中で引き上げてきたのは正解だった。 


まるでぼくを励ますように歩いてくれた今朝のシェラ

2012-01-26 22:06:27 | がんばれ、シェラ!

☆今朝のシェラはいつもと違う
 ぼくの皮膚感覚でしかなかったが、今朝はこの冬いちばんの冷え込みだった。シェラとルイを伴って外へ出たとたん思わず首をすくめマフラーを整えたくらいだ。
 やっぱり日の出の時刻はほんの少し早くなっているらしい。ぼくがネットキャップの上につけたヘッドランプが今朝は点灯の必要がないくらいに明るくなっていた。それでも寒さはいちだんと厳しい。

 今朝のシェラは家を出る前から積極的だった。いつもなら、ぼくのほうからシェラが寝ている場所までいってハーネスをつけ、それから手を添えて身体を起こし、玄関までゆっくりと導いてやらなくてはならない。 
 だが、今朝は自分から起き、ぼくが散歩のしたくをしている様子をながめていた。昨夜の散歩はやっていない。熟睡しているシェラを起こすのが忍びなかったからである。
 
 一昨日は、もう寝ようかと思っていた深夜になってぼくの前へ現れた。散歩にいきたがっているとすぐに気づいたのは家人でありルイだった。ぼくはシェラが散歩にいきたがっているとは思わず、「シェラ、どうしたんだ?」などと訊いていた。

 今朝のシェラの積極さには、昨夜散歩にいかなかったからという理由とは別の強い意志を感じた。玄関から出る足取りも軽快である。「今朝は何か違う」と予感したものの、クレートへ入るときはさすがにぼくがお尻を持ち上げて助けてやった。


☆もうきみを抱いて運んではやれない
 外では、オシッコが終わるともうその場にじっとたたずみほとんど動かなくなるのだが、今朝はアグレッシブだった。トコトコと歩きだし、かつてむぎとさんざん歩いた朝の定番コースに向かった。
 片道200メートルほどのこのコースは、昨年のはじめ、ある日突然シェラがそれまでのコースを拒否して新たに散歩コースになったルートである。以前の半分程度の距離しかない。

 だが、いまのシェラにはそれさえも歩き通すことができない……はずだった。それなのに、今朝のシェラはどんどん進んでいく。いつ歩けなくなるかハラハラしながら、それでもぼくはシェラにつきあった。折り返し点にたどり着いたとき、ぼくは思わず「よくやったな」とシェラに声をかけたくらいだ。

 問題は帰り道の200メートルである。動けなくなって座り込んでしまったら、ぼくはルイを引きながらシェラを抱いて帰るしかない。
 まだシェラが若く、元気だったころ、真夏の暑さに参って座り込んで休憩したことが二度ばかりある。このときは立ち上がるのを待ち、励ましながらゆっくり歩いて戻った。もう一度は散歩中に足を痛めてぼくが抱いてクレートまで運んだ。抱き上げたシェラは重かった。
 
 あれからぼくも老いた。いま20キログラムのシェラを抱いて運んでやれる自信が正直なところない。だから、「最後まで歩いてくれ」と願いながらゆっくりと帰り道の歩を進めた。


☆シェラからもらった心の平穏
 シェラは晩年のむぎと歩いたコースを自力で歩き通した。おまけに、クレートに乗るとき、何日ぶりかでうしろ足もぼくの助けを借りずに乗り込んだ。
 「すごい! すごいな、シェラ!」
 ぼくは興奮気味にシェラに声をかけた。
 シェラが予想外の距離を歩いてしまったので、ルイとふたりだけの散歩が今朝はできなかった。

 今朝は朝ご飯を食べてくれるかもしれない。大いにそんな期待とともに家に戻ったが、やっぱり今朝も食べてくれなかった。
 しかし、会社へ向かうぼくの気持ちは軽かった。シェラのあの歩きっぷりを思い出すたびについつい笑みがこみ上げてくる。仕事上のトラブルへも敢然と立ち向かえるだけの余裕が生まれる。
 「シェラ、サンキュー!」
 そうやって今日がはじまり、ミーティングが続いて忙しかったけれど穏やかな一日になった。