愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

点滴を嫌がるシェラをそっと抱き締めて

2011-12-31 20:20:26 | がんばれ、シェラ!

外へ出るとたちまちフリーズしてしまう(31日朝)

☆年越しキャンプで過ごしているはずの夜 
 例年ならば、昨日の30日からぼくたちは伊豆の大仁にあるキャンプ場へ年越しキャンプに出かけていた。そして、2日ないしは3日に帰るのが常だった。 
 むろん、今年も「シェラが元気でいてくれるなら……」という前提でキャンプのつもりだった。だが、7月にむぎが逝ってしまい、一時はすっかりその気が失せてしまった。むぎの死と前後してシェラの衰えも目立ちはじめ、ますます今回の年越しキャンプは現実的でなくなっていた。
 
 30日の昼過ぎにキャンプ場へ着き、クラブハウスでチェックインの手続きを終えると毎年使わせてもらっているエリアのテントサイトへと移動する。クルマを停め、まず、シェラとむぎを出してやる。芝生の上で二匹が喜んで転がしたり、転がされたりして遊んでいる様子を見ながら「今年も揃ってこれたね。よかった」と笑顔でテントの設営にかかっていた。
 だが、今年はむぎがいない。そんな寂しいキャンプを覚悟しなくてはならない。だから、早々と、今年はやめようと決意した。
 
 それでも、ルイがいてシェラも元気を取り戻しはじめたのを見て、もしかしたら今年もいかれるかもしれないと何度か思った。しかし、結局、シェラのガンが見つかり、それに伴う腎不全の発症によって年越しキャンプどころではなくなった。
 朝、目が覚めればすぐにシェラを探し、ちゃんと呼吸をしているか確認する。食欲があれば喜び、食べ残せば心配になる。シェラの一挙手一投足を息を殺して見つめ、その都度、一喜一憂する日々が続いている。


朝の散歩へ出ていけるだけでもがありがたい(31日朝)

☆突然、点滴を嫌がるなんて…… 
 点滴を家で行うようになって一週間、シェラもだいぶ慣れたし、ぼくたちもかなり手際よくおこなえるようになっているはずだった。だが、昨夜のシェラは、点滴に抵抗した。なぜだかはわからないが、激しく嫌がって手こずらせてくれたのである。おかげで、二度も針が抜け、三度もやり直す羽目になった。

 ぼくは点滴器の操作を家人に任せ、腹這いにさせたシェラの身体に覆いかぶさって抱き、ずっとやさしく語りかけた。どんなにシェラを愛しているかを、出逢ったときの喜びの記憶を、17年になろうとするさまざまな楽しかった思い出を、そして、いま、どれほど大切な存在なのかを、頬を寄せ、耳を撫でてやりながら語り続けた。
 点滴が終わるまでのおよそ20分、シェラは静かな息づかいで、微動だにしないままぼくの話を聞いてくれた。


食べて寝ての状態をどこまで維持できるだろうか?(31日夜)

☆もっとベッタリしていよう 
 先ほど、夕飯を食べているとぼくのケータイが鳴った。淡路島へ年越しキャンプに出かけている犬連れキャンプの仲間たちである。シェラの様子を心配して盛り上がっている最中に電話をくださった。ありがたいことである。 
 兵庫の瀬戸内海に面した街にお住まいのKさんとは、かれこれ8年のおつきあいだし、もうひとりの琵琶湖に面した街にお住いのPさんともそれに近い年月、両ファミリーとは、ときたま一緒にキャンプをしている。今年の元旦はPさんご夫妻と一緒に伊豆のキャンプ場で迎えた。
 ご両人ともアグレッシブな素敵な女性であり、Kさんの家には、犬と猫以外にも多種多様の動物がいて、「動物園」と冷やかされるほどである。また、Pさんのお宅には二匹の可愛いコーギー娘がいる。
 
 せっかく皆さんから心配いただいているが、シェラのほうは食欲も衰えず、昨日から出ていなかったウンコも夕方の散歩で少し出て胸をなでおろしたところである。しかし、やっぱり少しずつ痩せていくのがわかる。顔がかなりほっそりしてしまった。
 死に急ぐことはない。ゆっくりと生きていこう。痛みや苦しみがないようにできるかぎりの手助けをしよう。 

 そして、この正月の休みを心ゆくまで一緒に過ごそう。キャンプよりも、もっと愉しい濃密な時間を作ろう。
 シェラとの最後の時間を……。

追記】この記事を書いてアップロードする寸前の午後8時、毎年、年越しキャンプでお世話になっているキャンプ場の「モビリティーパーク」から電話をいただいた。予約が入っているけどどうしましたという確認の電話である。ぼくは予約など入れていない。毎年、予約なしにいってお願いしている。それもかれこれ10年近く……。
 きっと、顔見知りのスタッフの方が気を利かせて、ぼくのお気に入りのテントサイトをキープしておいてくださったのだろう。なんともありがたい。


モビリティーパークでの年越しキャンプ風景(2011年元旦の朝)

 今年は辛く、悲しいことがたくさんあったが、このブログを盛り上げてくださっている未見の皆さまを含め、多くの方々の優しさに触れることができた。おかげでなんとも清々しい大晦日を過ごしている。こうしてみると、今年はそんなに悪い年じゃなかったと思えてきた。



迫りくる別れのときを悟ったかのごとく

2011-12-30 22:27:58 | がんばれ、シェラ!

今朝の散歩は最近になくよく歩いたが(30日朝・クレート内にて)

☆これからシェラがどうなっていくのか
 今年最後のシェラの検診のため、午前中に病院へ出かけた。 
 「あと1か月2か月というのは無理でしょう。1週間から2週間というところでしょうか」
 家人からの、「先生、この子はあとどのくらい生きてくれるのでしょうか?」という質問に対する院長からの答えである。どうにか新しい年を迎えることはできそうだが、シェラの命の火は、もうまもなく燃え尽きようとしているのだ。
 覚悟はできているので動揺はない。だが、それでもぼくはいまだそれが現実になるのが信じられない。
 
 今朝、起きると、洗面所の前にシェラが吐いた痕跡があった。しかし、散歩に出ると、数週間前の足取りで、むぎと最後に歩いたコースへ向かった。オシッコもウンコもちゃんと出る。オシッコはたくさん、ウンコは少ないがそれでも今朝は二度やってくれた。
 だが、身体が痩せはじめたのを認めざるをえない。お腹のあたりがゲソッとしている。病院での計測は20.54、1キログラムの減少である。散歩から家に戻ると、食欲はあるが食べてくれる量が減っていた。匂いづけもして、お湯でふやかしたドライフードを半分近く残した。吐いたあとだから仕方あるまい。
 
 嘔吐のことや食事を残したことを告げると、「もうWD(ドライフード)はやめましょう。好きなものを食べさせてあげてください。それで体力の急激な低下を防ぎましょう。たとえば、人間の食べるハムなんかはよくないのですが、それで落ちた体重を取り戻した子もいました」といわれた。
 このあと、どんな状態になりやすいかもレクチャーを受けた。てんかんのよう痙攣を伴て倒れるかもしれない。たいていは5分ほどでおさまるが、こういう症状が出るようなると死期が近いそうである。
 
☆どうせならシェラが好きな場所で 
 病院から家に戻るより、もう、一緒に食事をするのも今日が最後かもしれないから、シェラが好きだったところへいってランチしようということになった。シェラのお気に入りはいくつもあるけれど、陽射しが暖かいテラス席なら南町田のアウトレットモールの「クイーン・アリス・カフェ」である。さいわい年末なのでガラ空きだった。
 シェラをカートに乗せたままなのがいままでとは違う。それなのに食欲は変わらない。家人は自分の料理(あさの豚のグリル)の大半をシェラに食べさせた。こんなひとときもまもなく思い出の中だけになる。 
 ぼくの足元では何ももらえないルイが、不満でしばらく暴れていた。


シェラの好きなテラス席だがカートからの眺めだと別物?(30日昼)

 食事を終え、道端のどこかでオシッコでもしてくれないかとシェラをカートから降ろしてやる。このあたりはもう10数年来、シェラの勝手知ったる場所である。
 シェラがよろけながら隣接する鶴間公園に向かった。むぎが元気だったころ、しじゅう一緒にきていた公園である。遊具はなく、木々と芝生の広場で構成されている。
 
 公園へ向かうシェラをぼくは制した。目の前にあるとはいえ、いまのシェラにとても歩ける距離ではない。しかし、シェラはよろよろと歩いて辿り着き、落ち葉の悪路にさらによろけながら、懸命に歩いていく。

☆まだ歩けるからカートはイヤ! 
 広場へ辿り着いたとき、ぼくはこらえきれずに泣いていた。この公園へこうしてこれるとは思わなかった。しかも自分の足で歩いてくれる。
 シェラは、これが最後と悟り、残された力を振り絞って歩いて見せてくれているとしか思えない。そんな姿を写真に撮る余裕さえなく、ぼくは流れ落ちる涙に顔を濡らし、前をゆくシェラに、「ありがとう」「ありがとう」と心の中で何度もつぶやいた。ぼくの背後を家人がカートを押し、無言で歩いていた。思いは同じだったろうと思う。


公園でシェラが水場へ向かうころからようやく写真を撮れるようになった(30日午後)

 芝生の広場の中ほどでぼくはシェラを抱き締め、しばらく涙に暮れた。ルイが遊びたくて暴れてくれなかったら、そこでどれだけ抱き締めて過ごしたかわからない。 
 シェラはといえば、まるで「わたしは元気よ。いつもと変わらないでしょう」とでもいいたげに危うい足取りで広場を横切り、いつもの水飲み場までいって水を飲んだ。
 
 びっくりするくらい大量の水を飲んだシェラに、「疲れたろ。さあ、もうカートに乗って駐車場へ帰ろう」といって抱き上げようとぼくが手を伸ばすと、シェラは腹這いになり、断固として拒否するのである。いかにも「まだ歩けるよ」とでもいいたげに……。
 「シェラ、もういい。もういいから……。頼むからカートに乗ってくれ」
 ぼくはシェラを抱き締め、そう言い聞かせながら抱き上げてカートに乗せた。

☆これはシェラからのぼくたちへのメッセージである 
 今日、シェラは自分の命が尽きようとしているのを悟ったとしか思えなかった。それにうすうす気づいたぼくたちは、シェラを家に置いておくよりも一緒にいようと、夕方の買物に至るまでクルマに乗せて半日動いた。
 最後、駅前のスーパーの近くを家人と一緒に散歩した。散歩が終わり、家人は夕飯の買物でスーパーの店内へ。ぼくとシェラ、ルイは駐車場のクルマに戻るはずだった。だが、シェラがそれを拒否した。家人の帰りをじっと待ち、まったく動こうとしないのである。「もうママを待ってあげられないからね」というシェラのメッセージが聞こえてきそうですらあった。


こうやって立ってママを待つシェラの姿も久しぶりだ(30日夕方)

 寒い中、ぼくもシェラにつきあった。シェラがゆっくりできるように、ルイはかわいそうだが、数メートル離れた電柱に固定した。シェラがそばにいないと、ぼくが目の前に見えていてもルイが不安そうにしているのをはじめて知った。シェラは、ルイよりもママをずっと待っていた。
 
 衰えていく体力を削りながら、まるで自分の寿命を知ってぼくたちにその愛情の深さを示してくれたかのごとき行動を見せてくれた今日のシェラだった。それを思うと、いまもぼくの頬を熱いものが伝っていく。


待ちに待った休暇のはじまり

2011-12-29 12:40:35 | シェラとルイの日々
☆どうやら一緒に新しい年を迎えられるみたいだね
 仕事納めだった昨日、緊張の糸がプツリと切れてしまい、一度もこのブログを開かずに終わってしまった。シェラの朝の散歩、夜の様子などを思い出そうするが、あらかたは忘れている。瞼に去来するシェラやルイのいるシーンが、昨日のものなのか一昨日なのかそれ以前なのか判然としない。

 唯一、昨日の場面だとわかるのは、夜の点滴の投与の情景である。シェラもだいぶ慣れてきたし、ぼくたちの手際もよくなってスムーズにはじまり、終えることができる。点滴液はあと2日分残っているが、明日、今年最後の診察に出かけるので、病院が開く4日までは毎日自宅での点滴の投与となる。
 いまの情況を鑑みると、よほどの急変がないかぎりはどうやらシェラと一緒に元旦を迎えることができそうである。それだけでも喜びとしなくてはならない。


休日の朝の散歩はのんびりと気が向くままにやればいい(29日朝)

 今朝はいつもより2時間遅れの8時過ぎに散歩に出た。昨夜も遅くシェラから催促されて外へ出ているので今朝のシェラは黙って待っていてくれた。今朝の足取りはだいぶいいようだ。むろん、歩く距離は変わらないが、転びそうな危うさはないし、毎朝の二倍ほどの時間を外で過ごした。

 もっと動きたいのにほとんど動けない散歩につきあわざるをえないルイが気の毒になり、一度、家に戻ってシェラだけを入れ、再びルイとともに散歩に出た。およそ1時間、ルイと歩いた。遠回りをして駅まで歩き、再び別の遠回りルートで家に戻った。最初の散歩もまじえて2時間の散歩は、ケータイの万歩計機能によれば6500歩。思ったよりも少ないが、それでもぼくはけっこう疲れた。ルイのほうは帰ってからもケージの中でしばらくひとり遊びをしていた。やっぱり若いわんこは元気である。


シェラ抜きで散歩に行くとさすがのルイも緊張することが(29日朝)

☆あたたかい応援コメントに感謝!
 シェラは静かに寝ている。苦痛や、腎臓機能低下につきものの気持ちの悪さも鳴りを潜めているらしい。いま点滴以外に三種類の薬を飲んでいる。吸着剤(身体の毒素を吸い取る)、吐き気止め、そしてステロイドであるがそれらが奏功しているのだろう。
 ゆっくりと衰えていくのを阻止できないまでも、どうやら、ぼくたちの切実な願いである苦しさ、辛さの排除は果たされているようだ。

 シェラはいまだ「生きよう」という意志を失ってはいない。それをひしひしと感じるかぎり、ぼくたちもシェラの明日に希望をもっていられる。なんとかして共に最期の瞬間まで一緒に歩もうと思う。
 ここへきて、このブログに三件のコメントをいただいているのを先ほど知った。どれだけぼくたちの支えとなるかはかり知れない。心に響くお言葉にひたすら感謝している。返事は遅れるが、ご容赦願いたい。


前日と変わらないまま穏やかな時間がすぎていく(29日朝)

 今回いただいたコメントに介護用ハーネスの情報があった。ほんとうにありがたい。
 ぼくも何年も前から、もし、シェラの歩行が深刻になったら買ってやろうと思っていたハーネスを見に行くつもりでいた。このハーネスに関しては、いただいた情報もまじえてさっそく検証してシェラに買ってやりたいと思っている。 


こんなときだからなおさら心にしみるちょっといい話

2011-12-27 23:59:36 | がんばれ、シェラ!
☆奇跡はやっぱり起こらないのか? 
 今日、フェースブックでとっても素晴らしい記事を読んだ。
 とある獣医さんの投稿である。余命わずかになったウルフハウンドを安楽死させるにあたり、なぜ、動物の命が人間よりも短いかの話に、飼い主の家の6歳の息子ジェインが次のようにいったそうだ。
 「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね。いつもみんなを愛するとか、人に優しくすることだよね」そして、彼は続けた。「ほら、犬はもうそれをすでに知っているんだから、そんなに長いこと、この世にいなくていいんだ」
 ぼくはさっそく、この記事をシェアした。

 今朝のシェラは、「もしかしたら奇跡が起こるかもしれない」と思いたくなるような出だしたっだ。昨日、一昨日の朝は「散歩にいこう」と促しても大儀そうで動こうとしなかったのに、今朝は自分のほうからさっさとやってきて、すんなり玄関を出た。足取りは危なくても、その意思がうれしかった。


外へ出ると、なかなか動こうとしない(27日朝)

 だが、外へ出てすぐぼくの期待は水泡に帰す。昨日よりも歩こうとしないし、目に見えて脚力が弱っていたからである。昨日の夕方の散歩でも、ほとんど動こうとしなかったと家人から聞いていた。まもなく歩くのも困難になるだろうし、そうなれば、立っていることさえままならなくなるはずだ。

 家に戻り、家人に今朝の状況を教えた。
 「これからが本当に大変になるんでしょうね」
 真剣な顔で家人がいった。そのとおりだ。覚悟をしておかなくてはならない。
 問題は21キログラムを越えるシェラの体重である。家人ひとりで抱き上げることなどできない。下の世話が大変になるだろうが、それも覚悟の上である。決して見捨てないと約束している。

☆ふらつく足が不憫でならない 
 夜、10時と11時過ぎ、点滴をはさんで二度、シェラを外へ連れていった。最初の散歩は点滴のために、二度目はシェラが激しくいきたがった。最初の散歩ではオシッコしかでなかったので、二度目のリクエストがなんのためかはわかった上での散歩だった。
 朝はほとんど歩いてくれなかったし、ルイも一緒だったので気づいていなかったが、前肢もだいぶ弱っている。そんなよろけ方だった。


まだ自分の意志で外へ出てくれるだけいい(27日夜)

 明日、一日なんとかしのげば、明後日から年末年始の休暇に入る。とりあえずは29日から7日間ずっと終日シェラの面倒をみてやれる。どんな介護だろうとやりとげてやろう。その先のことまでは考えないでおこう。一週間後、シェラがどんな状態になっているのかなどわからないのだから。
 まずは元旦をはさんでの一週間である。シェラとの濃密な日になるはずだ。そうやって思う存分に世話してやれることがぼくはうれしい。


いつまでこうして自力歩行が可能なのだろう(27日夜)

 この記事を書いているぼくの部屋の外でシェラが寝ている。シェラもまた、ぼくを待っているように思えてならない。そうやって心が通じ合うだけでいい。


驚きのシェラとルイの新たな関係

2011-12-26 23:27:50 | シェラとルイの日々
☆うしろ足の衰えが目立つ
 金曜日の祭日から3日間、ずっとシェラと一緒だった。もっとも、昨日は母の納骨で昼間の数時間、ぼくだけ留守にした。その間、家人ひとりではシェラも不安だろうし、家人はもっと不安がっていたので、せがれを呼んで一昨日からひと晩泊まりがけできてもらっていた。


動きの鈍いシェラとじゃれつく機会をうかがうワルガキのルイ(26日朝)

 今朝のシェラも、昨日の朝に続いて散歩にいこうというぼくの誘いに立ち上がろうとしなかった。自分の犬用ベッドで寝ているシェラの身体にハーネスを着け、痛くならないかと心配しながら起き上がらせた。ケージからルイを抱き上げ、シェラをうしろからゆっくりと促して玄関まで連れて出た。
 まだ自力で動ける力がシェラに残っているだけでも「よし」とするべきだろう。20センチほどの高さのクレートにも自分から乗り込んでくれた。

 歩く姿を見ていると、うしろ足の衰えが激しい。すっかり筋肉がおちて、ただでさえ細い脚がさらに細くなってしまった。ふつうに歩いていても、ときおりおぼつかなくよろけている。ルイがじゃれついて跳びかかればたちまち転んでしまうだろう。ルイは油断も隙もならないガキ犬である。そうならないように細心の注意を払いながらの散歩である。
 今朝はオシッコしか出なかった。たくさん食べているのにそれはないだろうと思う。家に戻ってから、「昼間、外へ連れ出してくれ」と家人に託した。


食べて寝る状態を維持しての延命(26日朝)

☆いつもぼくを探していてくれる
 昨日、カートに乗せてスーパーまでいくとき、カートは家人が押し、ぼくは悪ガキのルイを連れていた。右に左に、前に後ろにとめまぐるしく、しかも敏捷に動くルイの面倒をみるのは並大抵ではない。おとなしく歩けるようにしつけてやりたいが、いまやシェラが中心の生活になっているので平日は運動不足だし、部屋の中でも大半がケージに入れているので、ストレスがかなりたまっているはずである。こんなときにしつけるのはしのびない。
 もう少し、もう少しの辛抱だと心の中でルイにいいつづけている。シェラがいなくなったら、たくさん歩いてやるからな――そんな寂しい約束をしなくてはならないのが哀しい。
 
 「前を歩いてくれないかしら。シェラがあなたを探して落ち着かないから……」
 カートを押していた家人が振り向いていった。シェラはそういう子である。これを飼主への依存心が強いと見るか、従順と見る……。どちらにしても、ますます愛しくてならない。
 ぼくはルイを連れてシェラが乗ったカートの前を歩きながら、ときおり振り向いてシェラにほほ笑みかけた。それだけでシェラは安心できるのである。

☆シェラとルイの意外な距離
 夜、予定どおり2日ぶりに病院を訪ねた。体重は少し減っている。血液検査の結果、やっぱり若干数値が後退していた。しかし、どうやら先生が思っていたよりは踏みとどまっているらしい。これも衰えない食欲のおかげだろう。
 「食べて寝る」状態を維持して様子をみることになった。点滴も家でおこない、次回の病院は病院が年末年始の休みに入る前日の30日。なんとか年を越せそうである。
 
 帰り、簡単な買い物をするために駐車していたクルマの中のシェラとルイを見てぼくは驚いた。ルイがシェラにじゃれつかないようにふたりの席を離してある。シェラは後部座席にルイは運転席のとなりの助手席である。
 しかし、ルイは少しでもシェラのそばに近づきたくてコンソールボックスの上に座り、いつもうしろを見ている。クルマの中にシェラとルイを残し、家人とともに外へ出た。先にぼくが戻ると、ルイがシェラの耳の中を舐めているではないか。


いつの間にかこんな仲良しの関係になっていたとは(26日夜)

 かつて、シェラがむぎにやっていた行為である。いま、逆にシェラがルイに舐めさせている。しかも、自分のほうから頭をルイのほうに突き出し、気持ちよさそうにしているではないか。
 むぎのときは、まるで母犬が自分の子供を愛でているかのように見えたが、いまは、ルイという子犬が母犬に甘えているかのようである。どちらにしてもシェラは母犬の役割りだ。いつのまにか、シェラとルイはこれほど近しい関係を築いていた。ますます、今少しシェラを長生きさせてやりたいと思う。シェラのためのみならず、ルイのためにも……。
 しかし、もう時間はない。
 
 家での点滴3日目、シェラもぼくたちもだいぶ慣れてきた。