愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

深夜の散歩もあと何回いかれるのだろう

2011-11-05 21:56:15 | シェラの日々
☆深夜の散歩が定着 

 昼からの結婚披露宴に出席し、夕方近くになって帰ると、家人がすれ違いで出かけていった。7時過ぎに近所の蕎麦屋へ夕食に出かける。シェラが一緒にいきたいとばかりアピールしながら玄関まで出てきた。吠えはしないが、目で必死に訴えている。
 むろん、「あとでな……」と言い聞かせてひとりで出た。外は雨になっていた。


 このところ、毎晩のようにシェラとふたりで深夜の散歩に出かけている。
 昨日と一昨日はシェラが「いきたい」と呼びにくる前にぼくがシェラに声をかけて10時くらいに出ている。午前1時、2時に連れ出されるよりは、早めにすませてくれたほうがいいという思惑もあるが、一昨日からの散歩は、それよりも迷惑千万な深夜の散歩でさえあとどのくらいやれるかなという焦燥感からだった。

 やはり、シェラの腫瘍にナーバスになってしまった。ついつい最悪のことを考えてしまう。それならば、いま、一緒に夜中に出かけることができるときに一緒に散歩をしておきたいという願望こそが理由である。
 たとえ、腫瘍のことがなかったとしても、間もなく17歳を迎えるシェラと時間外れの散歩ができる回数などタカが知れている。だから、シェラが歩けるうちに歩いておきたい。

☆親指の根元の傷 

 シェラに呼ばれる前に連れ出しても、たっぷりとオシッコがでる。たいてい、大きいほうの排泄もすませてくれる。だから、朝の大きい排泄は、二度が一度になった。
 朝はルイも連れているので一度のほうが好ましい。ルイがちょっと目を離した隙に何を口にくわえるかわからないからだ。

 小石、タバコのフィルター、木片、枯れた花……目の前にあるものをまずはくわえてみる。下手をすると飲み込んでしまう。
 今朝はそれを取り上げようとして、逆らうルイの歯がぼくの右親指の付根の皮膚を破いて血が流れた。それがルイの口の白い毛について、近所のわんこ仲間の方が「どうかしましたか?」とルイを心配してくださったほどだ。

 シェラが子犬のときも散歩中になんでもかんでも口にくわえて閉口した。だが、ルイのように激しく逆らったという記憶はない。口を開いてくわえた異物を回収するのはもっと楽だった。
 むぎはさらに楽だった。滅多に何かをくわえたりはしなかったが、やったとしても叱ればすぐに吐き出した。

 頼んだ蕎麦が出てくるまで、親指の根元に残った小さな傷を見ながらシェラやむぎの昔を思い出していた。
 家に戻るとシェラが、「さあ、いきましょう」とばかり急かしにきた。しかし、これは散歩の催促ではない。家人の姿がないので、そこへいこうという注文である。外は雨だし、「散歩はまだあとでだ」といって聞かせるとすぐにおとなしくなって、ぼくの足下にうずくまった。

 雨の様子を見ながら、むろん、これからシェラとの散歩にいくつもりである。


シェラに痛みの辛さだけは……

2011-11-03 23:36:19 | シェラの日々

☆ようやく診察にいってみると 

 シェラの喉と右足の付根にあるコブを診てもらいに動物病院へいった。ほぼひと月前の10月4日、シェラが突然倒れ、しばし意識を失ってしまったあとの診察で、喉のコブがずいぶん大きくなっているから落ち着いたら検査してみましょうといわれていたからである。
 あのあと、てんかん(かもしれない)の症状は出ていないのと、クルマが修理から戻ってきたのでようやく懸案だったコブの診察に出かけることができた。
 
 老犬は体中にコブができやすいそうである。ただでさえ脂肪の塊ができやすい体質のシェラはお腹にいくつもの脂肪の塊がある。それらはみなブヨブヨの柔らかい塊であるが、喉と右足の付根の大きなコブは硬く、しかも大きくなっているのがわかる。
 このふたつのコブの正体のいくつかの可能性と、それを見極めるいくつかの方法を教わった。そのうちから、エコーを使って血管を避けながら注射針で組織を取り、まずは検査に出すという方法を選択した。
 
 20分ほどかけて組織の採取は終わった。シェラを診察室に残し、ぼくたちは待合室で待っていたのだが、終わり近くなって部屋を隔てる壁の小さな窓越しに診察台のシェラと目が合ってしまった。
 シェラのいかにも心細げな、悲しい鳴き声が聞こえてきた。犬も歳を重ねると鳴き声で助けを求めることができるようになる。
 以前、やはりいまのシェラと同じくらいの年齢のわんこを抱える知人が、「ウチの犬も年取って人間に近づいてきた」といっていたのを思い出す。まさしく正鵠を射た言葉だったと今更ながらに納得できる。


☆願わくば、苦痛だけは許してほしい 

 エコーでのぞいた喉のコブは、「単なる脂肪の塊ではありませんね。明らかに腫瘍です」というのが医師の診たてだった。場所がら、腫瘍はリンパも含んでいるし、血管がたくさん通っているので楽観はできないそうである。
 「ただ、悪性の腫瘍とはかぎらないので、とりあえずは検査の結果を待ち、それからどうするかを検討しましょう」というのが今日の結論だった。

 そんな可能性も覚悟はしていたが、ぼくは思わずため息を漏らしていた。
 もし、悪性の腫瘍でなかったとしても、その腫瘍を小さくする薬が効いてくれるとはかぎらない。もし、効いてくれなかったら、成長する腫瘍にやがては喉を圧迫されて食べることさえ苦痛になる。
 あるいは、すでに呼吸器の圧迫がはじまっているのか、明らかに普段から息が荒い。暑い時期ならいざ知らず、こんなに涼しい気候になっているというのにである。
 
 1週間から10日後に明らかになる結果がどんなものであっても、シェラに痛みや苦しみだけは与えたくないと痛切に思う。
 むぎを喪ったばかりのいま、「神よ、いま少しシェラを召さずにいてください」と祈りたいところだが、いまは、「シェラに苦しみを与えずにお召しください」と切に祈りたい。
 痛みに苦しむシェラを見かねて安楽死の決断下さざるを得ないような局面になってほしくもない。残されたぼくたちに二倍の悲しみを課せられてもかまわない。もうかなり人間に近づいている老犬のシェラに痛苦だけは与えないでほしい。
 
 それだけが切なる願いである。


今朝のシェラの接吻の意味

2011-11-02 12:49:18 | シェラの日々
☆「犬の日」に思い立ったこと

 ルイを迎えて以来、途切れていたシェラのモーニングコールが復活した。昨日も今日も起床予定時刻の午前6時より早い時間にぼくを起こしにベッドの横へやってくる。昨日が午前5時、今朝は午前5時30分ごろだった。
 しばらく頭を撫でてやると、「クウ」といってその場に横たわって寝てしまう。今朝は、珍しく顔を近づけてきてやさしく接吻してくれた。
 「シェラ、長生きしような」と声をかけた。
 
 昨日11月1日は「犬の日」だとFacebook仲間から教わった。「1」の3並びで「ワンワンワン」だからだそうだ。11月11日の4並びじゃないのはなぜだろう? そんなくだらないことが妙に気になった。
 気になりながら、昼休みにネットで見つけた雑誌『いぬのきもち』の広告を見てすぐに購読を申し込んだ。「愛犬の長生きのために今できること」という特集がどうしても読みたかったからである。
 
 この雑誌の存在と書店では入手できないシステムは前から知っていた。なかなかいい特集を組んでいることも……。
 しかし、シェラとむぎとの生活で、さしあたって“教則本”の必要性は感じていなかった。何か知りたいことがあればいきつけのお医者さんで教えてもらってきた。知りたいのはこの子たちの健康に関することばかりだった。

 しかし、むぎの突然の死で、もっと注意深く見つめていてやっていれば死なさずにすんだのではないかとの後悔に苛まれ続けてきた。痛恨といってもいい無念さである。
 まもなく17歳を迎えるシェラの余命が見えているのは自覚しつつも、もう寿命だからいつ何があっても仕方がないと割り切ることはできない。とことん手を尽くして天寿を全うさせてやりたい。
 それが、もしかしたら、ぼくたちの油断から早死にさせてしまったむぎへの贖罪にもつながるような気もしてならない。

☆ぼくの毎日の至福のとき

 「愛犬の長生きのために今できること」という特集は、たぶん、老犬のための記事ではないだろうとの察しはつく。だが、その中からたとえひとつでもシェラを長生きさせてやるための知識やヒントを見つけることができればそれだけでいい。
 本当はもっと早いうちからわんこたちの老いに備えた準備をしてくるべきだった。
 「この子(シェラ)はきっと長生きしますよ」というお医者さんの言葉に喜び、備えを怠ってしまった。3歳若いむぎはまだ先のことだとタカをくくってきた。


熟睡している昨夜のシェラ

 むぎには手遅れだったが、シェラの老いとはまだ向き合っていける。それがどれだけありがたいことなのかはかりしれない。
 毎朝、出かける前に寝ているシェラの身体を撫でて、「いってくるからね」と声をかける。帰ったときは、ケージの中で激しく吠えているルイよりも先にシェラを抱き締め、「ただいま」といってシェラの接吻を受ける。
 
 シェラはいつもそっと接吻をしてくれる。その横で待たされ、吠え続けていたむぎの接吻はなんとも情熱的である。ぼくの、まさしく愉悦のひとときだった。
 そんな幸せの半分を確実に失ってしまったいま、シェラとの心のつながりをさらに深めていきたいと思う。

 今朝のシェラの接吻は、そんなぼくの願いも込めた「いぬのきもち」購読へのシェラからの「ありがとう」のような気がしてならない。


クルマのない休日にシェラも不満顔

2011-10-30 21:43:53 | シェラの日々
☆シェラの老いにばかり目を奪われて 


昨日は徒歩でモスバーガーへ連れていった

 クルマの調子が悪いので修理に出したため、この週末は足を奪われてどこへもいかれなかった。今日はルイの最後のワクチン接種があり、せがれにクルマを出してもらって出かけた。やっぱりクルマがない生活は不便であるし、どうにも物足りない。
 
 昨日もシェラが出かけようと呼びにきた。休みの日はクルマでどこかへいくものだと思っているからだ。
 家人は仕事で出ていたので、しかたなく、近所のモスバーガーまで歩いて連れていった。近所でわんこ連れでも入れるテラス席付きの店というと徒歩10分足らずのモスバーガーか15分ほどのところにあるスターバックスになる。


テラス席ならどこであろうとゴキゲンなシェラ(昨日のモスバーガーにて)

 去年はシェラとむぎを連れてスタバへも何度かいっている。たいてい家人が出かけているときだった。
 「シェラちゃん、よく歩けたわね」
 スタバまで歩いたと聞いた家人がよくそんな反応をしていたものだ。あのころは、「むぎは歩けて当たり前」だった。むしろ、シェラの足のほうが弱りはじめていた。

☆むぎとふたりで歩いた道 

 今日の昼、わんこたちを置いて近所の蕎麦屋まで歩いて出かけた。いつもならクルマで向かう距離である。
 「去年の春は、夜、この辺りまでむぎを連れて散歩にきたのになぁ」
 歩きながら、家人とそんな会話を交わしていた。
 むぎのダイエットとぼくの健康のために、夜、ぼくはむぎを連れて30分ほど散歩していた。むぎも元気によく歩いた。歩くというより、小走りについてきた。「さすが、使役犬だな」と感心するほどだった。

 夏がきて暑くなってしまったので夜の散歩はやめてしまったが、夏が終わり、秋から冬に入ってくるころからむぎのスタミナも落ちはじめていた。シェラとの散歩を嫌がりはしなかったが、出る前後の玄関の内外でぼくを待つほんの短い間も腹這いになって休んでいた。
 ある日突然シェラの足取りが危うくなって、いつもの散歩ルートをシェラが拒否し、近所の狭い範囲だけを歩くようになった。しかも、ゆっくりと、ひたすらそこかしこのにおいを嗅ぐ散歩である。

☆なんとも辛かった食事制限 

 当然、むぎの運動量も減った。そのために太ったわけではないだろうが、時期を一にしてデブ・コギ指数(おデブのコーギー)が増した。
 家人も必死で痩せさせようとしたが、容易に結果が出てこなかった。むしろ、食べるものを制限しなくてはならないことをずっと愚痴ってきた。同じおやつでもむぎには極端に少なくするのが辛いというわけである。
 あるいは、腎結石予防のためにタンパク質の摂取に配慮する必要があり、当然、食べさせることのできないものが多々ある。これはぼくも辛かった。


むぎはいつもこの場所で自主的に番犬をやっていた

 むぎが死んだとき、「ああ、こんなことになるなら、もっといろいろなものをたくさん食べさせてやればよかった」と家人は詮方ない嘆きを何度となく繰り返したものだった。
 家人は、犬であれ猫であれ、太らせてしまう傾向にある。よけいなおやつを与えるのをぼくが止めると、「だって、食べることしかこの子たちの楽しみはないじゃないの」と恨めしそうに反論する。

 シェラもいまでこそデブ犬ではなくなったが、これは単に年をとって太らなくなっただけのことで、いまもって食事のあとにはおやつが出てくる。昼間にもおやつタイムがあり、これはわんこの食事が一日二回ではかわいそうだからという理由らしい。

☆置いていかないで! 

 夕方、わんこたちにご飯を与えたあと、家人とふたりでシェラの散歩に出かけた。もう暗くなっていたのでルイは抱いて行った。
 こうして近所を家人も交えて散歩にいくのは滅多にない。休日はいつもクルマで出かけてきたからだ。いつもは休日の夕方は近所ではなく、出先の公園での散歩と決まっている。むろん、それも行き当たりばったりではない。行きつけの公園が数か所のあり、週代わりで出かけている。


クルマがないので夕方の散歩は近所ですませる

 散歩が終わってから、わんこを家に置いて徒歩でスーパーへ出かけた。スーパーの中にあるマクドナルドでコーヒーでも飲もうと思ったからだった。
 ルイはケージの中とはいえ、休日の夕方にわんこたちを家に置いていくのが気がかりではあったが、シェラが悪さをするわけではなし、ただ、シェラが不安に感じるだけであろうが……。

 買物と15分ほどのコーヒータイムを終えて戻ると、案の定、シェラは玄関の前の廊下で寝ていた。むろん、耳が遠いからすぐには気づかない。ケージの中でおとなしくしていたルイが、たちまちケージの中の床でオシッコをした。ぼくの気を引こうとしているのだろう。

 その始末をしている最中、シェラがぼくに向かって激しく吠え続けた。クルマでどこかへ行こうといっているのだろうか。あるいは、なぜ自分を置いてママとふたりで行ってしまったのかと抗議しているのか。
 シェラの真剣な吠え方を見ると、どうもその両方を訴えているように思えてならない。


老いと折り合ってゆっくり生きていこうな

2011-10-28 12:58:52 | シェラの日々
☆あれ、よろけてるじゃないか

 シェラの歩き方が復活したと喜んだのもつかの間、今朝の散歩で何度かよろけているのを確認した。
 散歩の後半だったから、疲れが出ただけかもしれない。何度か危なっかしい歩き方で転びそうにはならなかったが、たしかによろけている。
 思わず、てんかんと疑われている症状が出て、痙攣しながら倒れてしまうのではないかと息を呑んだ。歩きながら即座にぼくの反対側のルイを抱き上げていた。
 
 幸いにして今日のところは、転びも、倒れもせずに無事にクレートまでたどり着いてくれた。クレートにも自分で乗っていった。
 わずか、15分ほどの散歩だったが、全行程400メートルほどの距離を歩く負担が、いまのシェラには決して軽くないのかもしれない。むぎのときもそうだったが、歩かせすぎないように気をつけてやらなくてはならないのだろう。
 

危ないから近寄るな!(9月27日撮影)

 近所だけの散歩とはいえ、往路で力を出し切ってしまうと復路が辛くなる。余裕を持って戻り、もし、余力があればごく近所ですませてやるべきなのだと痛感した。
 もうひとつが、足場の問題もある。砂利が敷き詰めらていたり、凹凸があったり、草地で足をとられやすかったりすると萎えかけている足への負担は何倍にもなっているだろう。本来ならそういう場所は避けてやりたいのだが、なぜかわんこたちはそんな場所ほど好きらしい。

☆まずはコブをなんとかしよう

 シェラの右足のつけ根から関節上部にかけて大きなコブがあり、それが歩行の障害になっているのもわかっている。
 それ以上に深刻なのが喉にある大きなコブである。医師の診たてによると、これ以上肥大すると血流を妨げたり、神経にも影響するかもしれず、食べ物が口から胃へとスムーズに運べなくなるかもしれない。どちらのコブも下の写真で確認できる。
 先のてんかん騒ぎで先送りになっていたが、明日、診察を受けて、これらのコブを小さくするために飲み薬で対処するつもりでいる。


身体のあちこちに痛々しいほどに多数のコブがある

 老犬になると体中にコブができやすいとは聞いていたが、いまのシェラのコブはかなり深刻になりつつある。
 喉と足のコブをまずはなんとかしてやりたい。それに伴って、お腹や背中のコブも小さくなってくれるといいのだが……。
 見た目はそれほど感じないけど、触ってみるとこのコブで痛々しいほどの老体である。
 シェラにかぎらず、老犬は皆、なんらかの老化現象に苛まれている。それらは等しく、飼主にしかわからない哀しみといえるだろう。
 
 わが家の場合、若いルイがいるだけになおさらシェラの姿が辛く見える。ルイからシェラの元気を引き出してもらおうなどとあまり思わず、シェラのペースでゆったりと老いに折り合っていかせてやりたい。
 少しでも油断すると、相変わらず歩きながらルイがシェラに跳びかかる。リードの長さの調整だけでは十分ではない。ぼくのほうのリード捌きも気をつけてやりたいし、早晩、別々に散歩させる算段をしたい。

 帰り道、秋の朝の陽を浴びてゆっくりと歩くシェラがいっそう愛しくて、「無理するなよ!」と思わず声をかけていた。