ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古墳に興奮 第2部の1

2013年07月03日 21時32分29秒 | ウォーキング

堺の百舌鳥古墳群には
大小40もの古墳があります。

宮内庁が管理する

「陵」

と名のつく3つの古墳は前回歩きましたが、
まだ歩けていない百舌鳥周辺の古墳めぐりコースを
天気の良い日に暑さに耐えて
続いて歩いてみました。

スタートは、前回ゴールとなったJR上野芝駅。

この駅は少し高台になっているので、
歩き始めると右手の方に
住宅地が広がっているのが目に入ります。
こうして歩いていると、
ポツポツある緑が全部古墳に見えてくるのがおかしいです。

まず最初に行ったのが、
JR阪和線に乗ると、
上野芝と百舌鳥の間で
すぐ東側に見える古墳です。それが

「いたすけ古墳」

まるで、おっちょこちょいの町民のような
おかしな名前ですが、
誰が埋葬されているのか
ということに言及している資料は見当たりませんでした。

この古墳を語るときに
そのおかしな名前よりも必ず言われるのが、
昭和30年頃に破壊の危機があって、
住民運動によって保存されるようになった
という歴史を持っていることです。

そして昭和31年には国の史跡に指定されました。

当時の破壊の傷跡は、
こうして見ると



他の古墳に比べて樹木が少なく、
つる性の下草が生い茂っていることからも伺えます。
多くの樹木が当時伐採されたそうです。
今も残っている橋げたは
その当時、樹木を搬出したりした
開発の名残だそうです。

おや?よく見ると橋の上に何か動くものが見えます。
亀じゃないようです。

拡大してみますと・・・



狸でした。

周りを堀に囲まれているのに
どうしてでしょうと思って調べてみますと、
実はこの古墳狸は有名で、
1999年の頃に
この古墳に狸のつがいが住みついたことに
端を発しているそうです。

手に手を取って、
小さな恋のメロディのように
お堀の水面を新天地に向かって
泳いで行ったのでしょうか。

その道行の情景を想像すると、
なんかホッとしますねえ。

狸は一度夫婦になると、
どちらかが死ぬまで夫婦を続けるそうです。

写真を撮っていると、
自転車に乗った上機嫌のおじさんが
近づいてきて「狸の写真撮れたかよ」と、
前歯の抜けた顔で
酒のにおいをプンプンさせながら
話しかけてきました。

「そこにいたのを撮りましたよ」
というと
「ここには10匹くらいいてるで~」
と言いながら去っていったのでありました。
「どわ~、絡まれて相手するのも大変やなあ」と思っていたので
ちょっと別の意味でホッとしました。

2004年にこの古墳狸が
新聞やテレビで報道された時には
合計11頭の大家族が確認されていたそうです。

ダニエルとメロディの恋は
きちんと実っていたのですねえ。

それにしても11頭とは、
ビッグダディじゃあーりませんか。

狸は雑食性なので、
基本的に何でも食べますが、
周りに堀がめぐらされたこんな閉じられた空間の中で、
10頭以上も生息するのは驚きですね。

水辺のカエルや水生昆虫、
木の実、草の実、鳥や小動物
なんかをとらえて生きているんでしょう。

もともと夜行性の狸が
こうして昼日中に人目に付くように
出てきてるところを見れば、



水環境の中に捕食できるものがあるか、
あるいは遠くから誰かが
エサを与えているのかもしれませんね。

ま、狸話はこれくらいにして、
よく整備された古墳周辺の道を



先に歩いていきましょう。

いたすけ古墳の東には、
この古墳の陪塚である
「善右ヱ門山古墳」があります。



いたすけ古墳の周りにはこんな陪塚が、
わかっているだけでも
あと2つあったそうですが、
住宅開発で取り壊され
今はこの善右ヱ門山古墳を残すのみだそうです。

開発の手を逃れ、
残存している古墳ということから、
今はこのいたすけ古墳から出土した
冑の埴輪が堺市の文化財保護の
シンボルマークになっているそうです。

照りつける日差しの下、
汗を拭き拭き、次の御廟山古墳へと進んでいきます。

続く。