ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ブラリ、ママチャリ1

2013年07月28日 21時11分28秒 | スポーツ全般

仕事もあるし介護もあるけど
忙しくなればなるほど
空き時間を有効に使いたいと
考えてしまうのはdoironの悲しいサガなのです。

先日も、仕事が一段落
次の仕事が来るまで(来るのかな)
空いた日を有効に使わねばと
考えた挙句に
ママチャリでウロウロすることにしました。

ウォーキングは暑いし、
近辺はかなり歩きつくしたし
ママチャリだと、また新しい世界も
広がるかも・・・と期待して
バッグにカメラとお茶を忍ばせ
チリンチリンと
いざ!出発です。



本当は、ママチャリの前かごを改造して
ペットボトルをホールドできるように
とか考えてみようかなと思ったのですが
いろいろ改造して
終いにゃ、「ホットプレス」と書いた
旗までたてたりしそうやから
やめておきました。

とりあえず、北に向かいました。

「私 昔から そうでした。北で死のうと決めていた~」という
吉幾三の「海峡」を口ずさみながら、ね。

ありえへ~ん。

最初に向かったのは
前から気になっていた
助松の「牛滝さん」

おっと、その前に
踏切のところにある地蔵さんをチェックです。


車を止めてとかはなかなかできない場所なので
ママチャリだからこの際です。写真をパチリ



その名も

カタカナ地蔵尊



この奇妙な名前は
ネットでもいくつか取り上げられていました。
たしか、以前名前の由来が
その場所に書かれていたように思うのですが
今はありませんでした。
今度祭りの時にでも
近辺の奴に聞いてみようと思います。

その踏切を渡り左を見ると
こんもり茂った森が見えます。
それが「牛滝さん」。
これも行ってみたかったのですが
マンションに阻まれ
近寄れない状態でした。

残念

で、そのマンションの名前が
「牛滝欅荘」
かろうじて建物の名前で
史跡名が残ろうとしています。
そこにはたしか
ルネRCのかつてのアイドル
K代ちゃんが住んでいると聞いたことがありますが
今はどうなのか、真相はわかりません。

旧26号線に出て、さらに北を目指します。

このブラリ、ママチャリで意識的に避けていたのが
旧街道を通ることでした。
すでに歩いているので
違う道を行きたかったのです。

なので、中和泉街道も無視して
突っ切っていきます。
しかしそのまま行くと
紀州街道、もしくは海岸通りとなります。
う~ん身動きトレビア~ン。
で手前で都合よく道があったので
(あるのん知ってるくせに~)

右折して山方向に向かいます。

泉州の人ならわかりますよね。
だんじりのコース紹介などでよく
「だんじりが大阪方面から山方面へ左折します~」
なんてよくアナウンスされてますからね。
その要領で思い描いてみてください。

そしてママチャリ、ブラリ号は
(いつ名前付いたんや
ある程度山方向に行ったところで
再び海峡を求めて北へ行きます。

久しぶりに通る道は
これまでなかった道です。
doironにことわりもなく
いつ、こんな道ができたのでしょう。
(普通、ことわらへ~ん)
広い広い自動車道が開通していました。



こんなところなら
カメラマンも悩むことはありません。
せいぜい道マニアの変なオッサン
に見られるくらいでしょう。

で、こんな新しい立派な道ですから
これはさらに北へ北へと行かなくてはなりません。
もしかしたら津軽海峡まで
続いてるかもしれませんので
横殴り、横殴りの雨に打たれようと
確認しなくてはいけません。
(演歌かぶれか)

と、しばらく走っていると
なんと、車道と歩道の間に
自転車専用レーンが
設けられているじゃあーりませんか。



やるじゃん、やるじゃん高石市。
それとも大阪府?
どっちにしても粋な試みですやん。
このこのこの~

ランラランラと歌を歌いながら
走っていきますと
500mほどで終わりでした。
もっと普及してほしいですねえ。

そんな自転車道の終点でふと右を見ますと
こんな木陰道が
「こっちにおいで~」と手招きしていました。



ハンドルは何の抵抗もなく
そちらに向きました。

自由気ままの、ブラリ、ママチャリ旅は
津軽海峡に到着するのをあきらめ
この辺りから、北にこだわらず
興味の羅針盤に導かれるままに
ギコギコと進んで行きます。

も一回続く。