ひと息ついたところで
熊野古道の次の区間のブログをはじめましょう~
さて、doironの熊野古道歩きも
和歌山に入って4回目となりました。
当然ことながら回を重ねるにつれ
出発点まで遠くなってきます。
「熊野」の語源は「隈(くま)」という説があります。
この世の「隈(すみ)」という意味だそうです。
また死者の魂が「こもる」というところから
「くま」になったともいう説もあります。
いずれにしても、
遠く離れた地であることを表すだけあって、
都会からはどんどん遠くなっていきます。
「熊」が出没するという意味ではないんですねえ。
今回は伊太祁曽がスタートです。
電車だとJRで和歌山まで行って、
貴志川電鉄で伊太祁曽まで行くことになります。
それだと約1時間半を要しますので
今回、いろいろ検討した結果、
車で伊太祁曽まで行き
そこに車を停めて、
海南まで歩いてまた伊太祁曽に戻る
という手順で行くことにしました。
これだと、乗換ナビで計算するより
電車で1本以上早い時間から
歩き始めることが可能なのです。
伊太祁曽には駅の近くに
貴志川電鐡所有の広い駐車場があります。
そこは一日とめても200円と超お得な値段です。
スタートは8時53分。
今回は聖地熊野の入口ともいえる
一の鳥居跡がある海南に向かって出発しましょう。
先ずは駐車場から伊太祁曽駅の踏切を越え、
前回訪ねた神社に向かいます。
途中たまたますれ違ったのが、
貴志川電鉄の「たま自動車」。
派手なペイントが施されていました。
会社の社用車でしょうか。
一瞬だったので写真を撮れなくて残念です。
この電鉄会社は猫の「たま」を駅長にするなど、
非常に「たま」にテコ入れしています。
たまカフェ、たま自転車などもあるそうです。
時刻表にもたまがいます。
2012年には伊太祁曽駅の駅長も
三毛猫の「ニタマ」になりました。
猫嫌いにはまことに近寄りがたい電鉄です。
おっと話を歩きに戻しましょう。
伊太祁曽神社を右折して、
六地蔵に到着すれば
ここから、前回の続きの
熊野古道に入っていきます。
まず最初に向かうのが奈久智王子跡です。
のどかな田舎道を歩いていると、
道の脇に小さな池がありました。
どうもメダカを飼育しているようです。
メダカの学校です。
いや養メダカ池です。
それにしても
メダカを飼育してどうするのでしょうか。
メダカ好きのdoironとしては
とても気になるところですねえ。
おっと、話がまた脱線しそうです。
今日は古道歩きです。先を急ぎましょう。
あいかわらずこのあたりの地蔵さんは、
大勢でひしめいています。
手持ちの資料によりますと、
奈久智王子は街道のそばにあるのではなく、
「石垣と民家の狭い間を少し登る」
とありました。
ふむふむ、これは親切な説明だ
と思っていたのですが、
実際に行ってみると、
「石垣と民家の狭い間」は無数にありました。
資料ではこの神社を過ぎたあたりとなっています。
もしかしたらここかも、
いやあっちかもと
迷いつつも見逃さないように、
それらしいところは
一つ一つチェックしながら
進まざるを得ません。
隙間があれば登って行こうとしてしまいます。
猫でもこんな行動はしません。
しかし、王子跡のあるところには案内板もありましたし、
それなりにオーラを放っていましたので、
なあんやこんなことなら
安心して歩いとけばよかった
と悔やんでしまいました。
かなり時間を費やしてしまいましたからね。
こんな懐かしい看板の張られた家の
横の道(本当に狭い!)を登って行くと、
そこに奈久智王子がありました。
参拝しようと近づくと、
そこに一人の男性がいるではないですか。
どわっ、熊野古道の亡霊か、
と思いきやそこでブロックを組んでいる
一人の作業員でした。
どうやら奈久智王子は
老朽化に伴い改築工事をしているようです。
これまで置かれてあったと思われるところに
こんなブロックを組んでおられました。
これから訪ねる人は、
新しい社に納まった王子社を見ることになるでしょうね。
どんな王子になるんでしょうか。
ここに限らず、これまで歩いてきた道で
やはり見落としたりしたものは多くあります。
それはそのうちまとめて車ででも訪ねて
熊野古道忘れ物シリーズでも
書こうと思っていますが、
ここも「新装の王子跡」として
そのうちの一つに加えておくことにしましょう。
「奈久智王子」という名前は、
このあたりの旧地名が
「名草」であったことから、
その入り口あたりということで
名草の口で「名口」と言われたところから
ついた名前だろうと言われています。
後鳥羽上皇の御幸に随行した
藤原定家や藤原頼資が
その御幸の様子を
日記にしたものが残っていますが、
そんな彼らの日記の中に
この地のことを、定家は「奈くち」と書き、
頼資は「菜口」と書いているそうです。
文字もさほど一般には普及していない時代だから、
口伝えで聞いた地名の
漢字の選択もおおよそであったんだろうと思われます。
この奈久智王子が和歌山市の最後の王子跡になります。
一人さびしく偉大な工事をされている作業員さんに
ご苦労さんですと挨拶をして、元の道に戻りました。
今回の歩行は始まったばかり。
上々の熊野古道日和の中、
テクテクと進んでいくdoiron一行なのでした。
続く。