ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和三山ミステリー歩行3

2014年05月28日 21時31分22秒 | ウォーキング

橿原考古学研究所の看板にひかれてしまいましたが、



今回は先が長いので寄りませんでした。

プチ桧皮葺の駅舎を持つ近鉄の
「畝傍御陵前駅」



の地下道をくぐり食堂を探しましたが、
これと言ってひかれるお店がありません。

しかたなくこの先の「中街道」と言われる
国道169号のコンビニにでも行くか
と思っていたら、こんな看板が
doironの大きな目に入りました。



これは行かねばなりません。

お昼は久々に豪華なこんな定食です。



あまり食べ過ぎても夜の酒席に差支えてはいけませんが、
コスパで選ぶとこのメニューになりました。

みそラーメンと塩味天津飯の定食です。

一人なのでカウンターに座ると、
同年代らしき男性が声をかけてきました。

「歩いてるんですか?」
「はい。大和三山をめぐっています」と言うと、

非常に話が弾んで、楽しい昼食となりました。

最後にその地元らしき男性に「橿原考古学研究所の
付属博物館がとても面白いから寄って行けば」
とハゲしく勧められましたが、
今日は先があるのでと断ると残念そうでした。

近いうちにぜひとも行ってみたいと思います。

昼食を終えて再び歩き始めると、
前方に大和三山の二つ目、
「天の香具山」が見えてきました。

他の二つと違って目立たない山容ですが、
三山の中ではもっとも有名な山と言っていいでしょう。

なぜ有名かと言うと、
様々な歌に歌われているからです。

「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の
 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」

あまりにも有名な持統天皇の歌です。

また三山の中では唯一「天」という言葉が
頭に着くところからも
もっとも神聖視されていた山だと言われています。

標高は152m、多武峰から続く山並みが
奈良平野に突き出た岬のようになった先端に座っているお山です。

他の2山が火山であるのに対して
こちらはそうではありません。

隆起と浸食のみで形成された山と言っていいでしょう。
おっと、その前にこのルートで
見逃してはならない史跡のひとつである
「本薬師寺跡」に到着です。



境内には、かつてここにあった
薬師寺の礎石がずらっと並んでいます。



藤原京の薬師寺と言われた寺院で、
平城京遷都で今の薬師寺にとって代わられた存在です。

境内には、様々な石造物が安置されていますが、
中でも最も興味を引いたのがこの猿の石です。



「見ざる 言わざる 聞かざる」のうちのひとつ
「聞かざる」が彫られています。

人の言うことなんか聞かないよとばかりに、
耳を押さえています。

あれ、じゃそれは耳成ってこと?
とにわかミステリーファンは
色めき立ってしまうわけです。

そんなんはミステリーどころか
「見捨てりー」です。

そこを出てすぐに、
田んぼの中にパワースポットらしき一角がありました。



行ってみましょう。

そこがかつての薬師寺東塔跡です。
そこには東塔の礎石と小さなお社がありました。



お社に祀られていたのは~、

どひゃー、

神様、いやお寺だから仏様の降臨です。
これを「影向(ようごう)」と言わずしてなんと言いましょう。



ありがたや、ありがたや~


飛鳥川につきあたって右折し、歩いていると



前からやってくる、大集団の歩行部隊に出会いました。



きっと何かのツアーなんでしょうねえ。
やはりこの辺りはこういう集団が多くいます。

竹やぶの中の地蔵と庚申さんをチェックしてから、



紀寺の跡にさしかかります。



紀氏の氏寺といわれ、
藤原京の南側に位置するお寺の跡です。
今は雑草の茂ったただの広場です。

さあ、いよいよ香具山が間近に見えてきました。



春霞の漂う空には、
そこ一点だけ空気が澄んでいるかのような
研ぎ澄まされた声で雲雀が鳴いていました。
奈良三山をそれぞれ一本の樹に見立てると、
そこを登るdoironは一匹の芋虫です。
一度は息絶えた命で、
再び途絶えるかもしれない、
鳥に食われるかもしれないけど、
神代と人の世の時の積層を
尺を取りながら登って行きます。

なぜそんなことをするのと言われても
尺取虫の本能だから仕方ありません。

あわよくば、登りきったところで、
羽化して雲雀といっしょに
春の大空を舞える時が来るかもしれません。

今はただ登りたいから登る、
歩きたいから歩くということを大切に、
時を重ねていきたいと思っているdoironなのです。

さあ、天の香具山に登頂開始です。続く。