ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和三山ミステリー歩行1

2014年05月26日 21時05分54秒 | ウォーキング

古代史は人が作ってきた歴史であるにもかかわらず、
様々なミステリーを孕んでいます。

熊野古道に関しては、
後鳥羽上皇の御幸記や
定家や頼資の残した随行日記によって
ある程度推測されますが、
奈良の明日香近辺に残る数々の史跡に関しては、
神代の時代と人の時代との接点にあって、
とりわけ多くの謎に満ちています。

畝傍山、香具山、耳成山の
大和三山にまつわるミステリーも
そのうちのひとつです。

三山をつなぐと二等辺三角形になること、
そこへ三輪山、藤原宮も加わって
奇妙な幾何学模様が描かれることに、
ミステリー愛好家の人々の関心が注がれたりしています。

doironにはそれらの真偽を検証するほどの
歴史的知識はありませんが、
以前から興味は持っていました。

そんな時、奈良に住むラン友からお呼びがかかり、
酒席を催すことになったので、
この機会にミステリーの舞台を訪ねてみようと
三山を巡り歩いてみることにし、
朝から出かけていったのでした。

奈良には近鉄がやはり便利です。

まず最初に向かったのが、
南大阪線の橿原神宮前駅でした。



桧皮葺の屋根を持つ
いかにも神話の地らしい趣を湛えている
そんな駅に降り立ったのは、午前11時20分。
歩行に要すると思われる時間と
歩き終わってからのスケジュールを勘案して
この時間からにしました。

早速ナビをセットして、
まず橿原神宮に向かいました。

記紀における初代天皇である
神武天皇陵のあるこの地に、
明治天皇によって創建された大社です。

駅前ロータリーにはこんな立派な標石が建っています。



そこから神宮までは広い直線道を進んでいきます。



直線の先に見えるのが
最初に目指した大和三山のひとつ

「畝傍山」です。

おお~、「埴輪まんじゅう」とはうまそうです。



買って帰りたいところですが、
歩き始めたばかりで、
背中のリュックでつぶれそうなのであきらめました。
ネットで探ってみますと、
「埴輪の形をした人形焼」のようなものらしいです。



こちらでは埴輪人形も売られていました。



こちらも割れそうなので、やめました。

結局貧乏なだけだという説が有力のようです。

そんなお店の店先を舐めながら、
道は橿原神宮の駐車場に突き当たり、
そこから境内に入っていきます。



堂々たる鳥居は「台輪鳥居」の見本のような姿です。



おっ、「台輪」と「大和」、
読みが同じなのは偶然なのでしょうか。

なんかミステリアスな地だけに、
素人マニアは変な偶然を探してしまいます。

参道を突き当たり、右に行くと南神門です。



その桧皮葺の立派な建物をくぐると、
畝傍山を背後にして建つ本殿の前に立ちます。



今日一日が実りある一日となること
及び旅の無事を祈念しておきました。



境内に置かれてある「さざれ石」などを眺めながら



本殿前の広場を横切り、
北神門をくぐって進んでいきますと、
畝傍山登山口の道案内があります。



さあ、大和三山最初の「畝傍山」に登って行きましょう。

この山の標高は大和三山の中で最も高い199m。

瀬戸内火山帯に属する死火山で、
多武峰から続く山が浸食を受けて、
このような独立峰になったと言われています。

かつては「畝火山」と書かれていたのは、
田の畝のようにうねった谷をいくつも持ち、
火山の名残をとどめていたことからだとも言われています。



大和三山を詠んだ長歌が万葉集に残っています。

「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と
 相あらそひき 神代より かくにあるらし 
古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ
 うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」

と中大兄皇子が詠みました。

大海人皇子との恋争いと
大和三山の神が神代の昔に恋争いをしたことを
重ね合わせて詠っています。

この歌の中の「ををし」が「雄々し」か
「愛し」かで解釈が異なるそうです。

壬申の乱の間接的なきっかけになった
額田王をめぐる恋争いが、
この歌の中に詠いこまれているとも言われています。

毛虫がたくさんぶら下がる山道を
神経をとがらせながら歩いていくと、





やがて山頂に通じる道との分岐点に出てきました。



山頂までもう一息です。続く。