ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大仏鉄道遺構に行こう 1

2015年04月01日 21時11分16秒 | ウォーキング

かつて人々の生活の足として、
あるいは様々な資材の運搬経路として活躍し、
時代の波に飲まれて消えて行った線路が
廃線跡となって各地に残っています。

古い軌道敷きやトンネル、鉄橋などもあって、
さほど起伏もないので
近年それらは恰好のハイキングコースになっていたりします。

そこを歩くのは、景色もさることながら
かつての栄光の名残をとどめた遺構が
ところどころに残っていて、
それらも訪ねながら歩くと
山間部を疾駆する蒸気機関車を
思い浮かべたりして、
なかなか楽しいものです。

昨年歩いた武田尾~宝塚間の
武庫川廃線跡もそうでした。

最近は京都府の福井との境界あたりにある

芦生の森

にも廃線跡があることを知り、
行ってみたいと思っているのですが
何せ遠いので、なかなか実現できずにいます。

ところが、先日葛城古道を歩き、
その関連で京都府の木津川市加茂に行ったときに、
今から約1世紀前に9年間だけ運行されていた

「大仏鉄道」

といわれる軌道の痕跡が
ところどころに残っている
ハイキングコースがあることを知り、
ぜひ出かけてみたくなり、
今回の歩行になりました。

名付けて「大仏鉄道遺構に行こう」。

最近はあちこち廻ったブログが続いていていました。
そんな中で今回の旅は
不思議な体験あり、懐かしい場所の訪問あり
また意外な発見ありの面白い旅でしたので
早く紹介したいとウズウズしていましたが
新年度の始まりの今日の日に
ようやくその時が来たのはうれしい限りです。
4月1日だからってウソではありませんよ。
本当に不思議で
本当に楽しく、感動した旅でした。

では、鉄っちゃんならぬ廃鉄っちゃんの旅
始まり始まりです。

それは、母の四十九日の少し前の
暖かい春の日のことでした。

飛び交う花粉に負けることなく
家を飛び出したのでした。

近畿自動車道から阪神高速東大阪線に入ると、
生駒の山が近づいてきます。
しかし、その生駒の山がよく見えません。



昔は「春霞」とひとくくりで呼ばれていたものが、
最近はいろいろな現象の解析が進んで、
花粉、黄砂、PM2.5など、
原因にもいろいろあることがわかってきました。

しかし生駒の山脈を越えて、
奈良に入れば景色もクリアーになってきましたので、
単に山に雲がかかっていただけかもしれませんが、
かなり不気味な景色ではありました。



高速を降りてから加茂に向かうにあたっては、
前回と違う道を通ります。

また別の発見があるかもしれないしね。

ナビに任せて進んでいくと、
おや前方で狭い山道に車が止まっています。



「んもお~」、とか言いながら
なんとか横をすり抜け、
クネクネと進み、
ようやくJR加茂駅の前回と同じ駐車場に着いたのが、
午前10時頃でした。

では、携帯ナビをセットして歩きはじめましょう。

まず最初に向かったのが、
加茂駅の東口にある公園です。



ここには大仏鉄道の存在を知るきっかけ
となったモニュメントがありました。

これ。


動輪レプリカ


昔の線路

大仏鉄道が営業をしていた期間は
明治30年から9年間。
この動輪は大正時代に作られたもののレプリカですから、
大仏鉄道とは直接関係はなく、
関西本線を力強く走っていた機関車の姿を
象徴しているものでしょう。

ただ、加茂という町が鉄道と共に発展してきた町
と自ら称している根本には、
やはり当時100人近くが乗降していた
大仏鉄道の繁栄が根強くあるに違いありません。

そんな大仏鉄道の遺構は、
現在のJR加茂駅構内にも残されています。

それが大仏鉄道の加茂駅を拡張して作られたこの駅の
ホーム大阪寄りに立つ1本の白い鉄柱。

当時、ホームは跨線橋で結ばれていたそうで、
その時に使われていた跨線橋の白い支柱1本が
ここに残されています。

支柱に鋳出して書かれてある
「尾張熱田鉄道車輛製造所清造」の文字から、
大仏鉄道開業時のものであることがわかるそうです。

駅の囲い越しと



二階にある改札口近くから撮影しました。



中に入って確認してもよかったのですが、
ここからでも確認できたので、
入場料を払うほどのこともないだろうと思ったわけです。
へへ。

では、あらかじめ決めておいた経路に沿って歩くために
反対側の西口に回りましょう。

続く。