大仏鉄道はいよいよ奈良の中心部へと進んできました。
機関車の乗客たちも降車の用意です。
顔に着いたススもきれいに落としましょう。
鴻池のスポーツ施設を過ぎ
ユースホステルも過ぎたら、
その軌道跡にはこんな石が建てられています。
京都府部分と違って
道路整備はもうひとつですが、
こういう観光目当ての整備は
ちゃっかり進んでいますね。
興福院
の前で左折し、進んでいきますと、
一条通に出てきます。
そこにあったのが「畠山製菓」という
せんべい屋さんです。
昭和初期から親子三代で
せんべいとベビーカステラひと筋(多分)
の商売をされているそうです。
店頭のガラス張りのところで、
三代目が一枚一枚、
手焼きでせんべいを焼いています。
いろんな種類のあるせんべいを見ながら
どれを買おうかなと品定めしていると、
中から2代目と思われるオジサンが出てきて、
豆入りのせんべいを勧めてくれましたが、
やはり今日は何といっても
このせんべいを買わなくてはなりません。
おっと、違った。
これはミセスが
格安東京日帰り弾丸バタバタツアーで
買ってきたお土産です。
本当のせんべいはこれ。
その名も「大仏鉄道せんべい」です。
機関車につながった客車に
大仏さんが座っているという
シュールな図柄の焼き印が押されています。
こういう地域おこしの取り組みは
好感が持てますよねえ。
「今日はどこから歩いてきたんですか」
と、せんべいを焼いている三代目に聞かれたので
「加茂」からですと答えたら喜んではりました。
「加茂に戻るバス停はどこでしょうか」
と聞くと、今度は二代目が丁寧に教えてくれはりました。
初代はどうしたのでしょうか。
お礼を言って、せんべいを抱え
バス停に向かおうとしましたが、
おっと大事なことを忘れていました。
このコース上の文字通り終着駅の遺構である、
大仏鉄道記念公園を最後に訪ねなくてはなりません。
住宅街をてくてく進んでいくと、
ありました。これが「大仏駅」の跡に
奈良市と地元自治会の協力で
平成4年に作られた「大佛鐡道記念公園」です。
50平米ほどの小さな公園に
記念モニュメントの動輪が置かれ
石碑が建てられています。
折しも早咲きの桜が咲いていたので、
花越しにパチリ。
大仏鉄道は開通の翌年に
奈良駅までつながりここは通過駅になりましたが、
かつては近くの東大寺を訪ねる観光客で
たいそうにぎわったそうです。
さあ、これで目的の大仏鉄道遺構巡りは終点となりました。
それでは大仏鉄道に乗って、
車を置いてある加茂に帰りましょう。
へへ、そんなことはできません。
バス停までてくてく歩いていくと、
すぐ目の前で加茂行のバスが出てしまいました。
次のバスまで約40分ほどあります。
田舎にしては1時間に2本もあるのは、
途中の大規模開発に見られたように、
急速に人口が増えていってるからだと思われます。
そこのバス停からすぐのところに
東大寺の転害門があります。
う~ん、かつてこのあたりを走っていた
大仏鉄道の汽笛を聞いたことのある人は
もうこの世にいないでしょう。
聞いているとしたら東大寺の大仏さんだけのはずです。
取材をしようと思いましたが、
大仏は何も語ってくれないでしょう。
時間の都合上あきらめて
歩いてきた道を、ドリームランド前まで戻り、
ローソンで時間をつぶしながら
バスを待つことにしました。
結局本日歩いたのはこんなコース。
右に左にかなりあちこちをさまよったと
思っていたのですが、
こんなにまっすぐだったとは意外でした。
軌道そのものは約10キロしかないのですが、
あちこち見ながらウロウロ歩いたおかげで、
約17キロを移動しておりました。
途中、幻の汽笛も聞いたし、
懐かしのドリームランドに残る遺構ともいうべき
「黒髪山トンネル」にも思いをはせました。
早春の山や田園地帯の景色を眺めながら、
そしてまた沿線の人々の暮らしに触れながら
楽しく歩けた旅となりました。
大仏鉄道の映像が見つかることと、
数々の遺構がこれからも残され、
引き継がれていくことを祈念して、
長くなりましたがこのシリーズを終わります。