母の納骨で一心寺に行った。
ここはあらゆる宗派の納骨が可能で、
お骨をずらっと並べて供養する方式ではなく、
納骨されたお骨を何年か分を集めて、
骨仏を作ってくれるそうだ。
もちろん父もここに納骨した。
次に骨仏を作るのはまだもう少し先だから、
両親ともお骨が一つに融合して仏となるはずである。
いわゆるお骨の同級生というわけだ。
大きな紙袋にお骨を治めて電車に乗った。
普段カバンをあまり持ち歩かないdoiron。
持ったとしてもショルダーやリュックだから
手に持った紙袋を忘れないようにしないといけない。
よくJRの忘れ物のことが報じられるときに
「忘れ物の中にはお骨もあります」
と言われていたりする。
かつてはなんて不届きな奴がいるものだ
と思っていたが、
いざ自分のこととなると
「ああ、そういうわけだったのかもしれない」
と変に納得してしまう。
折しも、桜満開の季節。
母のお骨に花見をさせてあげようと
天王寺公園を抜けて行くことにして、
天王寺の駅から一心寺まで歩いていった。
思えばここは子供の頃、
動物園に連れて行ってもらったときに
母と歩いた道だったかもしれない。
遊歩道は桜が満開で、
あふれる命の中を
亡くなった命を持って歩くのは感慨深い。
もしかしたら大阪都立美術館に
なるかもしれない建物を抜け、
茶臼山に向かった。
この茶臼山は大坂冬の陣では
家康の本陣となり、
夏の陣では真田幸村の激戦地となり
全員討死した地である。
今は人も少なく、
華やかに咲き誇る桜が
いっそう寂しさを際立たせているように見えた。
風呂敷に包まれたお骨を取出し、
動物園に連れてきてもらったお礼ではないけど、
母にも花見をさせてあげることにした。
花びらがちらちら舞う中、
最後の一緒の花見だ。
「さあ、父さんとこに行こか」
と再び歩きはじめ、
ようやくたどり着いた一心寺には
南門から入っていった。
納骨の手順はまだ記憶に新しいので、
まっすぐ受付所へ。
あらかじめ用意してきたメモを見ながら
必要事項をスラスラ書き、
持参した書類を渡すと、受付完了である。
納骨料を治めて、本殿へ向かう。
場所もよくわかっているので動きに無駄がない。
こんなに慣れた納骨者も珍しいものである。
次々と名前が呼ばれ、
やがて順番が回ってきた。
母の戒名は、生前に授戒や五重を済ませているから、
浄土宗の中でも位の高いものである。
丁寧に詠みあげていただいたような気がする。
読経が終われば、経木を受け取って
納骨殿に向かう。
そこでまた読経がある。
「もうお骨は返せませんがよろしいですか」
と注意事項の説明を聞いてすべて完了。
母の遺骨は父と同じ仏となるべく
無事におさめられた。
そういえば、実の親父だけでなく義父さんも
骨仏の同級生だな。
みんな仲良く暮らしてもらいましょう。
この亡くなった三人で、
残る儀式は墓への埋葬だけとなった。
義父さんの墓は、
本人が生前買ってあった墓地が
奈良県の当麻寺にあり、
今月その墓の開眼式がある。
そしてdoironの両親は、
泉O津の先祖代々の墓で
眠ってもらう予定なのだが、
こちらも新たに花立てや
線香台などの整備をしてからと思っている。
少しずつゆっくりと、
みんなの日常が平穏へと向かいつつある今日この頃です。
合掌。