ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大仏鉄道遺構に行こう 6

2015年04月06日 21時24分06秒 | ウォーキング

線路は国境の峠を避けて
南の方へと回り込んでいきますが、
道はまっすぐ峠へと登って行きます。

これは木津川市の給水塔だそうです。



うひゃー、お金がかかってそうですねえ。
さぞかし給水される水もおいしいことでしょう。
その施設の入り口近くには
在りし日の大仏鉄道を偲んで
こんな絵が掲げられていました。



国境に向かって道はどんどん登って行きます。



ここが京都の南端で



かつ奈良の北の端です。



申し訳ないけど、舗装の具合は
京都府を歩いていた時の方が
奈良に入ってからより、
数段快適でしたなあ。
こういうところは、
自治体によって温度差があるように思います。

これは奈良市のマンふたです。



鹿と桜でしょうか。

国境近くで、田園道に降りていきますと、



そこにあったのがこれ。



この地域が「舞台」という名で言われたところから
「舞台のトンネル」といわれていたことが
案内地図に書かれています。

しかし、せいぜい人と水路が通れるくらいで
機関車が通るには幅が狭すぎます。

もし経路が正しいのなら、
このトンネルではなく
近くに別のトンネルがあったはずです。

そこでしっかりと辺りを見回してみましたが、
そういう痕跡は見つかりませんでした。
きっと道路の拡張などで撤去されたのでしょう。

そのトンネルを越えてきた水路は
「沢の川」となって田園地帯を流れていきます。



その流れに沿って軌道敷きの跡が
道になって残っています。



起伏を避けてうまく谷間に沿って
クネクネと道が続いていました。

さぞやこのあたりは気持ちのいい
乗車区間だったことでしょう。

やがて左から流れ込んでくる



「出合川」の方に軌道は移っていきます。
そちらの方に向かいましょう。

おお~、前方にシラサギがいます。



厳密にいうと「シラサギ」という種はありません。
白いサギには
ダイサギ、チュウサギ、コサギがいて、
大体大きさで区別できますが、
足が黄色いのがコサギ、
くちばしの長いのがダイサギ
と憶えておけばいいかもです。

ですよね・・・ジダン先生。

よく見るサギの仲間には、
他にもゴイサギ、アオサギ、
オレオレサギ、ケッコンサギなどがいます。

ですよね・・・ジダン先生。

近づくと、かっこよく飛んでいきました。



道はその先で
ならやま大通りをくぐり、



田園地帯をくねくねしながら、



元正天皇奈保山西陵を過ぎたところで、



奈良市内へと続くバス道に出ます。

この先には「黒髪山」などという
うるわしい名前の山が待っています。

大仏鉄道最大の難所と言われていたそうです。
それを物語るように、
このあたりの軌道はループ状になっていたそうです。

一旦トンネルをくぐり、
ぐるーと回ってそのトンネルの
上部に出て西に向かう形です。

線路はそんなに複雑に敷かれてましたが
現在の道はそうではなくひたすら登って行きます。

このあたりは鴻池陸上競技場が近く、
ランニングをしている人の姿が目立ちました。

そういえばdoironも
マラソン終盤35km以降は
シュポシュポと口から
ハゲシク蒸気を吐きながら
走っていたことを思い出します。

それにしても「黒髪山」とは
ちょっとdoiron風情には
近寄りがたい名前の山ですねえ。
まるで結界を張られているようです。

名前の由来はこうです。

=垂仁天皇の皇后狭穂姫は、
兄の狭穂彦王が謀反を起こした時に
兄の陣営で皇子を産んだ。
皇子を天皇方に渡そうとするが、
その時に捕まらないよう黒髪を切った。
そしてその黒髪を埋めた地が
この「黒髪山」であるという」=。

そのことから、今はハゲの人のお参りが絶えない・・・
ということでは決してありません。あしからず。

その黒髪山を大仏鉄道は
ループとトンネルで越えていました。

さてその場所は今はどうなっているのでしょうか。

続く