ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ぶらチャリ14 三角点征服編

2015年04月30日 21時18分37秒 | スポーツ全般

平成19年に復元整備された海岸沿いの道を、
東進し大浜公園に向かう。



この道から左手に大きな
「龍女神像」が見える。



かつて「乙姫さん」と呼ばれていたものを
平成12年の堺市制110年を記念して
復元されたものだそうだ。

間近で見たかったが、
あそこまで行くには、陸地経由で
ぐるっと回っていかないといけないので、
時間の都合上今回はここからの撮影で辛抱しといてやる。

臨海道路を信号で渡り、
大浜公園に入って行った。

この公園にも見るところはいくつかある。



ひとつは「猿島」。



「猿山」ではないらしい。
80年ほど前に市民から
25匹のアカゲザルが贈られたことをきっかけに
作られたもので、
今は50匹くらいのサルが過ごしているそうだ。



しかし、猿島のサルはいつ見てもちょっと哀れだ。
ストレスで(多分)毛の抜けた猿なんかがいると



思わずおでこを押さえてますますそう思う。

もし、「人(ひと)島」があったら、
みんなハゲてくるのかねえ。

案の定、ここのサルもそんな感じで、
ここで猿を見て楽しむ市民ているのかなあ。

doironはあまり好きじゃない。
旧態依然とした猿島ではなくて、
いきいきと猿が過ごすニュー猿島を
ぜひ考えてもらいたい。

桜はとうに終わったけど、
今は藤棚の藤が咲き始めている。

ちょっと変わったこんな白い藤も咲いていた。



幹がこんなに太いから



単に年老いて色が抜けてきただけかもしれないけど・・・。

これは、南極越冬隊が
昭和基地に置き去りにした15頭のカラフト犬の
慰霊としてつくられた像をブロンズ像に復元したもの。



置き去りにして去っていく隊員たちに向かって
遠吠えをする姿を彫ったものだそうだ。
かなり悲しい。

毎日出かけるときに、
玄関先で首を伸ばして
「僕も連れっててよ~」と見送るグーと同じやな。

置き去りにしてきた越冬隊員たちに
当時、非難の言葉が浴びせられたそうだが、
きっと誰よりも無念だったのは、
彼らだっただろうて。

で、次の越冬隊が一年後に訪れた時
この置き去りにされた15頭のうち
7頭はつながれたまま死に、
6頭は行方不明となっていたが、
「タロ」と「ジロ」と名付けられた2頭が生き延びいて、
越冬隊員たちの元に駆けつけたそうだ。

うう、泣ける。

この話は「南極物語」として
映画にもなっているから、
また借りてきて観てみよう。

結局ブロンズ像のどれが「タロ」で
どれが「ジロ」なのかそれはわからなかった。

あ、こんなところにも樺太犬が・・・



お稲荷さんの狛キツネでした

さあていよいよ、今回のお目当てである

「蘇鉄山」

に向かおう。

まだ花の咲いていない菖蒲園を抜け、



登り口に到着した。



ここはひとつ、せっかくのオジチャリ2号だから、
漕いで登ってみよう。



わっせ、わっせと15mほど漕ぐと、
山頂に到着。

山頂はちょっとした広場になっている。



その南の隅に三角点があった。



大阪府内に5か所ある
一等三角点のひとつである。

まわりを防護石にしっかり囲まれて
大切に保護されている。

大事な三角点なので、
二等以下の三角点と違って、
地中の構造も盤石ともうひとつ
下方盤石の二枚が埋め込まれているそうだ。



そして柱石は90kgもあるとのこと。

高い山の頂きなんかに埋める作業は
さぞや大変だっただろう。

側面に「一等三角点」の文字が刻まれている。
ここは大浜公園の築山として、
大阪湾を浚渫して出てきた土で整備された山なので、
三角点(二等)を持つ日本一低い山である
天保山と同じ生い立ちを持っている。

昭和14年に南東約300mのところにあった
「御蔭山」からここに一等三角点が
移されたことによって
「一等三角点を持つ日本一低い山」=「蘇鉄山」となった。

山頂付近には蘇鉄が植えられているので
この名前になっているそうだ。

熊野古道を歩いている時に
切目の駅近くにあった光明寺のソテツとは



比べようもないほど小さいけど、
たしかにソテツが植わっていた。



あ、そういえばみなべに
ソテツの茂る地蔵堂があり、



そこの名前を「堺地蔵堂」と言ってたのと、
地名が偶然に一致している。

そんなことを考えていると旅は面白い。

つらつらと続く。