道の下にもぐった小田井用水なんです。
でもところどころは
この用水の上を広い道にしていますし、
歩いていて用水の上を
歩いているとよくわかります。
だってマンふたがこんな感じなんです。
さすがにきっちりこんな
マンふたも設けてやってるんやねえ。
この辺りはかつては
高野口町だったのですが、
2006年に合併して
橋本市になっています。
なので本来のマンふたも、
橋本市のこんなふたの他、
高野口町の名前の入った
これや
こういうのが散在しています。
道標も割と熱心に立てられていますねえ。
道は途中でこんな川を
こえますが、用水のあった
あたりを見ても渡井とか
配管とかは見つかりませんねえ。
ここでも川をくぐるように
水路がつけられているんですかねえ。
そういえばこの辺は道が
異常に広いですから、
今渡った橋の下に
配管とかが通っているのかも
しれませんね。
こんな道の下をコースが
くぐっていきます。
へ~植物と昆虫の絵が
割と上手に書かれていますねえ。
これは落書きではないですねえ。
自治体または道路管理者の方で
描かれているんでしょう。
カキや道標、
水準点なんかを
見ながらdoironおじさんは
進んでいきます。
用水が交わったりはなれたりしながら、
そのうち道は旧道となっていきます。
ああ、この辺ももうすぐ
高野口の駅に近いのかなあ。
ぼちぼち時間もお昼ですから、
コンビニか食堂を探していきますと、
おおこんな食堂がありましたので
入っていきましょう。
ちょっと健康そうなランチが
ありそうですよ。
それがこれ。
う~ん、ご飯も五穀米かなあ。
どうしようかなあとか思いましたが、
ここは優しく午後の静かなひと時ですので、
ビールは置いときましょう。
帰りは車やしなあ。
11時45分くらいに店に入ったのですが、
12時を過ぎたくらいから
客がどんどん入ってきます。
まあ地元じゃ結構人気店なんですかねえ。
さあ、おなかもふくれたので
また歩き始めましょう。
しばらく行くと、小さなお堂に出ます。
「名倉市場蛭子神社」で、
高野街道の交差点と書かれています。
どうやら大和街道を来た人にとって、
ここは高野山へ行く経路と
交わっているんですねえ。
大阪からの高野街道は
もう少し先のところで
吉野川を渡っているよなあ。
そういえば、以前堺市から
西高野街道を河内長野まで
昔の同僚と歩き、
さあ続きにまた行こうと
思っていたのだが、
これが止まったままである。
また懐かしい人たちと
歩きたいなあと
ずっと考えているのだが、
なかなか連絡等の踏ん切りが
つかないでいる。
ねえ、のんさんまた歩きませんかあ、
とまた声をかけてみようかな。
階段じゃないけど
足は大丈夫かなあ。
本来ここから大和街道は左折して
高野口の八幡神社を経て
紀伊山田の方に向かって行くのだが、
今回はぜひとも小田井用水が
吉野川から水を取り入れている
取水口を見たいので
右折してしばらく高野山の方を
向いて歩いていくことにした。
道はこのまま九度山橋を目指している。
昔のこんな古い道を歩いていく。
途中に垣花大使といわれる
大師堂がありましたよ。
この御廟に参拝して
高野山参りの人たちは
進んでいったそうです。
道のずっと向こうに川の堤防が
見えていそうですね。
でもねえ、小田井用水の取水口が
この橋の下流なのか上流なのか
どっちにあるのか知らないのです。
でもまあとりあえず川まで
出ればわかるだろうと思い
歩き続けました。
ここは昔からの街道ですから、
道標とかあるかなあ
と思いながらキョロキョロと
歩いていますと、
あここになんか石がありますよ。
まるで橋のように二本立っている石には
「小田井」と書かれてあるじゃないですか。
それを眺めるとこんな広い道が
高野街道を横切っています。
どうもこれが小田井用水の道です。
続く