ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和街道高野口3

2018年06月07日 20時59分09秒 | ウォーキング

高野街道をまっすぐ行ったら
九度山橋に出るのですが、
途中で小田井用水上の道が
直角に交わっています。



ああ、これをたどっていけば
取水口に出るはずですね。



高野街道を離れて左折して
進んでいきましょう。

途中のマンふたを見ると、



おおやっぱりここは用水の上に
作られた道に間違いありません。
異様に広い道がまるで
川のようにくねくねと続いて行きます。



この日は天気も良くて、
気候もさわやかな日でしたねえ。
でも平日昼間のこんな田舎道って、
ほとんど人を見かけることは
少ないですねえ。

やがて道は公園のような
ところに突き当たります。

その向こうにもう川の施設が
見えかくれしていますよ。

あれが小田井用水の取水口のようですね。



おお~そのようです。
吉野川から取水した水が
ドド~っと流れています。

ああ、ここは怖いですねえ。
もし何かの事故等でここにながされたら、
一キロ以上高架下を
流されることになるんですねえ。

フェンスにも「あぶない」
と書かれていました。

ここに置かれてある案内板を読むと、
小田井用水のことがしっかりと
書かれていました。



この取水施設のことは正式名は
「頭首口」といわれているんですね。
ここから小田井用水は約30キロの
水路となって流れて行ってます。



河川の傾斜は、ゆるいところでは
なんと3000分の1から5000分の1
といわれるような精密さで作られています。

学文路の大畑才蔵氏が作った
精密な器具が役に立ったそうです。

そんな彼の「彰功之碑」が
粉河寺に立っており、
知らず知らずのうちに
その写真を以前とっていたのは
驚きでした。
これがそれです。



しかしまあ300年以上も前に
作られた水路が、
各地で改修を重ねられながらも
今まで続いているのは
本当にすごいことですねえ。

この小田井水路の他に
もっと古い藤崎井水路
というのも粉河から流れているそうで、
いかにこの地方の人たちが、
水を大切にしてきたかが
よくわかります。

この小田井水路は大和街道を
歩いているときも各地で見かけました。

そして最後は船戸の山手の方で
根来川にそそいでいるそうで、
いつかまたその地点も
見に行かなくてはと思っています。

さあ、これで今回の目的のひとつだった
小田井の取水口を見ました。
少し河川を下って
その河川上の姿を撮影しておきましょう。
それがこれ。



何度も大水で流されたりした
施設だからか、今はとっても
堅牢な姿をしていますねえ。



まあ、カヌーイストにとっては
悲しい姿かもしれませんがね。
さらに遠くから



はい、では九度山橋まで
河川敷を進んでいきましょう。



途中の河川敷のすぐ横には
こんな神子稲荷神社
なんてのもありましたね。



はえている木も立派な古木でしたねえ。



やがて前方に九度山橋が見えてきました。



大きな橋ですねえ。
これを右に回って高野口の
駅の方に向かいましょう。

途中の店々にはこんな





「真田幸村応援隊」の提灯が
ぶら下がってましたよ。

NHKの大河ドラマで
ブレイクしたようですねえ。

そんな田舎の商店街を抜け、
国道もわたり、高野道の交差点も
過ぎると駅の方に到着です。





今日はこんな感じで約7キロを歩きました。



中飯降の駐車場へと戻る電車も、
時間を見ると15分くらいで
来そうです。

駅前のチェックだけしておこうと、
無人駅を出ると駅前にこんな施設が。



「葛城館」という名前の宿泊施設で、
昔から高野山参りの人を
とめていたそうです。
風情のある建物ですねえ。

そして駅の中には昔の駅舎の
古い鉄骨柱のようなものも
残されていましたね。



ああ、これもまた歴史を感じさせますねえ。

さあ、これで高野口あたりの
大和街道は終了です。

次回はここから橋本の方に
向かって行くことになるでしょう。

高野口のあたりは駐車場が
見つからなかったので、
次回は橋本に車を止めて
歩くことになるかなあとおもいつつ、

おしまいです。