ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

還暦過ぎ頃の九州旅行4

2018年06月27日 21時55分41秒 | 最近の出来事

さあ、日本一のクスノキをみて、



今年のドジ旅以来、
心に引っかかっていた好奇心も
ひとつは一応満足しました。

あと、巨木で見たいのは屋久杉かなあ。
また見に行ける機会があればいいなあ。

さあ、では時刻もお昼過ぎとなりました。
この蒲生でお昼を何か
いただけるものはあるかなあ、
と観光案内所に入っていって
資料を見ている時です。

ふと目に入ったポスターに
司馬遼太郎のことが書かれてありました。



へ~、彼の作品でこの辺を
話題にしているのが
あったかなあと思ってみてみると、
どうやら「街道をゆく」の
肥薩道辺で蒲生のことを書いているそうだ。

帰阪後、図書館に行き
その本を借りてきて読んでみますと、
確かにこの蒲生郷の事を
彼は2つの文にして残している。

1つは、ここに終戦近くまであった
サムライの会社の事で、
もうひとつは竜ガ城といわれた
蒲生城の近くにある岸壁に
刻まれた梵字の事である。

それらには、この辺りにはずっと
武家屋敷に住んでいる人々がいたこと、
八幡という神社があったこと
なんかが書かれている。

しかしねえ。クスノキのことは
全く出てこないのだ。
まあ、このクスノキが日本一の
大きさの木だということが分かったのは、
昭和63年の国の調査で
初めて分かったことで、
この「日本一」という言葉が
なかったばかりに、
司馬さんは興味を示していなかった
のかもしれない。

しかし、彼にとってここは
なかなかお気に入りのところ
だったみたいで、何度かここに来たそうだ。

そして彼がここに来た時に
いつも立ち寄っていた
蕎麦屋さんがあったそうだ。

ふうんと思いつつ他の資料も
合わせて見てたら、
な、なんとそのお蕎麦屋さんが、
ここから武家屋敷を抜けていった
ところに今もあるというではないか。

これはもう今日の食事は
間違いなくここやなあ
ということになり、
我らは歩いてこの店を
目指すことにしたのでした。

武家屋敷に向かうT本さんです。



ついていきましょう。
きれいな石畳の道が続きます。



あの滋賀県坂本の道に
雰囲気がにてますねえ。
でも石垣が野面積みではありません。
ところどころの武家屋敷で、
カフェや食堂がありそうですが、



残念!もう我らの昼食先は
あの蕎麦屋さんと決まっています。

でもこうして武家屋敷を見ながら
歩いていて、ふと気づいたことが
一つあります。
それが、門から中に入って行ったときに、
家の玄関がすぐには見えない
ような形になっている家が多いのです。



これはやはり防御の一つなんでしょうか。

敵が攻め込んできたときに、
直線的な勢いで家の中に
入ってこられないような
配置になっている
ということなんでしょうねえ。

それにしてもみなさん、
大きな敷地に住んでいるようでした。
そんな武家屋敷を抜け、
こんな物産館のようなところを
過ぎていったらその蕎麦屋さんがありました。

「にいな屋」。



この店を司馬さんは
お気に入りだったみたいです。

彼がよく食べたのは特製そばでしたが、
僕が頼んだのはスタミナそば。



まだまだ運転しないといけないし、
といいつつ食べていたら
T本さんが「もうあとは運転するから
ビール飲んでいいよ」
とありがたいお言葉をくれました。

わーい!日本一のクスノキの御加護で、
司馬さんのお気に入りのお店で
ビールをいただくという幸せに
まみれてしまいました。

高校生の頃は三人で一本の
缶ビールも飲めなかったのに、
もう今はおそばを食べながら
ビールを飲むというのが
どれだけ幸せか。

還暦過ぎのおっさんは
しみじみと月日の流れに
思いをはせるのでした。

この姶良市の蒲生から
次は鹿児島湾の東側を南下し、
次の見どころの黒酢園を目指して、
T本さんの運転で向かいましょう。

続く