波太神社をでたら、
ここから信長道は田舎の
狭い道に入っていきます。
こんな感じ。
田舎道ですねえ。
よく見ると道に農業用トラクターの
わだちなんかが残っていますよ。
我が家の近所とよく似てて
親しみ持てます。
そうこの辺が前に行ってた
「自然田」というところです。
川の流域で自然と田ができたところ
なんていいところですねえ。
この家には「苗の畑」が置かれてましたが、
何を育てているのかなあ。
あ、ここに登録有形文化財の建物がありますよ。
まわりをぐるぐる歩いて
確認しましたがよくわかりません。
帰ってからネットで調べたら
「南家住宅」というところのようです。
戸長とか務めた人の家で、
明治・大正・昭和とそれぞれの
時代に応じた改修が入っているようで、
現在も良好に維持されているようです。
そんな屋敷を見ながら進んでいくと、
前方に26号線の高架が見えてきます。
地図で見て見ますと、
この下のあたりの「菟砥川」に
かかってる橋に「自然橋」
という名前がついています。
この名前を地図で見たときは
興奮しましたねえ。
立木が折れて倒れて
橋になったりしてるのかなあ。
それとも河原の中の石が
連なって橋になっているのかなあ
って想像してしまいました。
実際に行ってみると、
なあんや普通の橋です。
自然田のところの橋やから
こんな名前なんでしょうかねえ。
だったら「自然田橋」だろ~
なんてぶつくさ言いながら
渡っていきます。
でもきれいな川ですねえ。
こんな野鳥も餌を狙っているようです。
メダカなんかもいるのかなあ。
この川沿いのところで
小さな石があったので
そこに座って手持ちのおにぎりを食べましたよ。
軽い昼食ですね。
それにしても今年は
この地方にはよく来ましたねえ。
歩いてみると何となく自分の故郷と
よく似た雰囲気がします。
それはやっぱりタマネギの
匂いなんかかもしれませんね。
この信長道を歩くことで、
ほぼこの地方の歩きは
とりあえず終わりかなあ。
さあ、ではこの自然橋のところから、
和泉鳥取の駅へと歩いていきましょう。
田舎道をどんどん歩いていきますと、
地図では紀州街道(熊野街道)と
名付けられた府道に出ます。
そこを右折して進んでいきますと、
和泉鳥取の駅のところに出ていきます。
時刻表を見て見ると、
おお~5分後に電車がやってきますよ。
ぴったりでしたねえ。
この駅のところには
熊野街道の長岡王子跡と
いわれる大きな鳥居があります。
以前歩いたときには
ちゃんとそこに行って
写真も撮ったのですが、
5分という乗り換え時間は
ちょっと厳しかったかな。
実はその鳥居は何の鳥居かというと、
先ほど訪れた「波太神社」の
遥拝所だったのです。
熊野街道を歩いているときは、
きっと海辺の神社だと
思っていたのですが、
違ったんですねえ。
あの時の疑問がやっと解けましたな。
信長道はここから岡中の
クスノキなんかをめぐって
砂川に至る熊野街道と
同じ道になっているので
今日はここまでとしときましょう。
ネットを見ると、
ああ電車の中で何らかの
スイッチを入れてしまっていたようです。
だいたい計算したら約7キロ。
道の間違いをのぞいたら
約5キロの道のりでした。
信長の遺志や痕跡はあまり
感じることのなかった道でしたが、
途中で道を聞いたときには
「信長道」という名前が
出てきたりしたのは
やはり地域の人たちには
親しみのある道なのかもしれません。
ということで以上
信長道第2弾、これにておしまい