ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

河内を歩いた泉州のおっさん1

2018年08月09日 20時59分14秒 | ウォーキング

河内を歩いてきましたよ。
え~河内ってどこ?
というとまず最初に思い浮かぶのは、
どこでしょう。

ひとつは昔、河内市というところが
あった東大阪市ですね。

でもねえ、東大阪=河内というのは
何となく違和感がありますよねえ。

では違和感のないところはというと、
doironの場合はやはり八尾市です。

なんか河内のおっちゃん
というのはやはりこの市の
あたりにいてそうな気がしますもんね。

なので、今回は近鉄の八尾駅から



JR関西本線の久宝寺までをぶらりと、



河内のおっちゃんの地域を
歩いていくことにしました。

ただ季節は梅雨なので
出かけるタイミングは
よく検討しないといけません。

6月末の天気の落ち着いた日に、
今日だと思いぷらりと
出かけていくことにしたのでした。

JRに乗り阪和線から環状線へ、
そして鶴橋から近鉄大阪線へと
乗り継いでいきます。

近鉄八尾駅に着いたのは
午前10時少し前くらいでした。

ここから八尾中心部方面を歩き
久宝寺へと向かって行きましょう。

まずは八尾駅前の展示物から
チェックしていきましょう。

まず最初に目についたのがこれです。



「河内木綿伝承の地」とあります。

この河内木綿というのは、
昔からこの辺りに植えられていた
木綿のことです。

淀川の氾濫などで貧しい
この地域の地場産業として
発達してきたんでしょうねえ。

糸が丈夫でいろんなものに
使用されました。

ただ糸は太かったのですが
長さが短いので加工は大変だったようです。

でもこうして地域の人たちに愛され、
今も種が残され静かに
根付いているこの木綿は、
また河内の一つの特徴だったのですね。

きっと河内のおっさんたちは
河内木綿の服を着ていたんでしょう。

その石碑のところには、
地元の人たちの熱い想いも
書かれた石が一緒に
置かれてありました。



そしてその横にあるのが



「歯ブラシの生産高日本一」
の碑です。



河内木綿で一世を風靡した後は
こういうブラシ類製造
が発展してきたんですね。
木綿加工に費やされた
農家の人たちの安い賃金が、
このブラシ製造に強く
反映されてきたんでしょう。

いやあ、河内の人々は
なかなかしっかり者ですねえ。

駅前にはまだこんな碑もあります。
この駅前あたりも開発時には
昔からの遺構が出てきたりようで、
東郷遺跡と名付けられています。



おお~ゴルゴ13の本名は
ここからついたのですね・・・
・・・うそですけど

(ゴルゴは作者の中学校の
先生の名前からです)

なかなか駅前もいろんなものがありますね。
こういう駅舎でなかなか
進んだ感じでした。

さすが中核市ですねえ。

ではここから線路に沿って
西へと進んでいきましょう。

近鉄の高架下には商店が並んでいます。



昔はこの辺りは

「お逮夜市(おたいやいち)」

でにぎわっていました。

11日と27日の忌日の前夜が
市の日で、たくさんの
お店が出ていました。

河内弁で客寄せしている
おっさんの声が響いて
いたんでしょうねえ。

いまは商店もこんな感じで、



お逮夜市も一部の地域で
それらしく行われている程度だそうです。

歩いていきますと、
おお~マンふたがこんな感じです。



これは河内木綿の糸づくり
作業なんでしょうねえ。

その先あたりでさらに高架下には
公園があり、おお河内のおっさん連中が
予想をがるかに超えて
大人数がたまっています。

これまで見た公園の中でも、
おっさんの人数が一番多い
公園かもしれません。
高架下で陰になって涼しいからかなあ。
散策も非常に多くの視線を感じますねえ。

「おっ、泉州のおっさんちゃうか」
「河内の公園をあらしに来てるんちゃうか」
とかおもっているんかなあ。

で、ふとそこにある掲示板を見ると
「河内音頭広場」と名付けられています。



続く