ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

河内を歩いた泉州のおっさん5

2018年08月13日 21時05分10秒 | ウォーキング

小野 篁は公卿で文人でありました。
その彼が唐に派遣される命令に
そむいたため、隠岐島へ流されました。
その地で阿古那(あこな)という
娘が歯痛で苦しむのを見て
篁が地蔵像を刻み
阿古那に与えると歯痛がとまった
ということがあります。

あごが落ちるくらいの歯痛だったそうです。

いやあ西郷どんもそうですが、
当時の島流しはなかなか
いい話を作りますね。
二人はその歯痛事件以来深い仲となり
一児を授かったそうです。

しかし、その子供も2歳で夭折します。
そして西郷どんと一緒ですねえ。
篁は罪を許され帰京することになりました。

それを悲しむ阿古那に人形を
ほって残していったそうです。

そんな話が背景にあって、
こういうあごなし地蔵ができたんだ
といわれています。



したがって歯痛なんかに
効能があるとかないとか。

いやあ頼めるところには
いろいろと頭を下げておきましょう。
泉州のおっさんはええとこどりなんです~。

「歯痛になりませんように」っと。

そんな通りの終点のところにあるのが
「麟角堂創建遺址」です。



昔ここでいろんな講演とかが
行われたところで
いわばまあ私塾のような
ところですかねえ。

久宝寺の人たちの熱い想いが
伝わってきます。

そしてその通りをいったん
右に回って進んでいくと、
こんなところが目に入ります。

長曾我部が視察に来たところの
物見の松なんだそうです。



ただ、今植えられているのは
新しい松です。

ここで藤堂軍を視察したそうですが、
果たしてどうだったんでしょうねえ。

さあ、こうして久宝寺の村の
様々なものを見てきました。

まだまだこんな安産地蔵や



西口地蔵などもありますが、



ぼちぼちこの辺で久宝寺地内町も
終わりです。

あ、そうそうここには
まちなみセンターなんかもありましたねえ。
トイレが借りれてよかったです。

そしてこんな風情のある灯りが
置かれたような通りを、



久宝寺の駅の方に向いて進んでいくと、
右手に大きな神社が現れてきます。



ここがずっとのぼり旗を
あげていた許麻神社ですね。



ここは聖徳太子の建立で
境内は戦国時代なんかにも
焼失しましたが、
復興に復興を重ねて今に至っています。
地元の人たちにもしっかり
根付いているんでしょう。



境内は広く、茅の輪くぐりなんかも
行われています。



そうそうこんな神社の奥の
森の中では高齢者のおばさんが二人、
優雅な音楽を流しながら
太極拳のようなものを舞っていましたね。



河内のおっさんだけではなく、
河内のおばちゃんも元気な町なんでしょう。

そこから約1キロほど歩いていきますと、





久宝寺の駅です。



周りの様子はこんな感じ。



昔ながらの地内町が残っている
と思ったら、こんなに暮らしやすそうな
景色も見えていて、
何となく明るいいい町だったように思います。

ほわーんとして、どこかに
河内のおっさんの雰囲気が漂っていたかなあ。

さあ、ではここから電車で帰宅しましょう。
今回歩いたのは、こんな感じ。



距離的には6.3キロとあまりありませんが、
まあ暑い時期ですから
こんなところにしときましょう。

帰宅時に昼飯でラーメン屋さんに入って、
おもわずビールを注文してしまいましたねえ。

泉州のおっさんは、
ええとこどりで
おチョーシ乗りが多いのかもしれませんなあ。

河内と接した旅、おしまい。