松阪のマンホールは
本居宣長が好きだった
駅鈴をデザインしたもの
なんだそうです。
じゃあさあ、駅鈴て何?
て思うでしょう。
駅で発車時にならす
サイレンみたいなもの?
というと違うんですねえ。
そもそも電車もない時代の話ですから、
そんな電車駅みたいなもの
ではありません。
駅とはもともとは宿場を意味する
宿駅というものです。
なので、最近はやりの「駅伝」の駅は
この宿場町を表しているんですね。
この鈴を鳴らす人は、
宿場の馬が使えたということで、
宿駅とはこの時代は
「うまや」と呼んでいたそうです。
そんな地元の本居宣長の趣味から
こういうデザインに
なっているんですねえ。
その本居宣長旧居から少し歩くと、
今度は旧長谷川邸がありました。
江戸にいち早く店を持った
松阪の商人の屋敷地と
建造物跡です。
さすがのここは豪商の町「松阪」です。
立派な住居地なんかが
残されているんですねえ。
そこから広い道に出て
前方の松阪市役所の建物を
目指して歩いていきますと、
こんなのぼりばたが立っていました。
そこには「マンホールカード」と
書かれてあるじゃないですかあ。
そこは、市役所の第3分館でした。
ははあ、駅鈴のことが書かれてある
マンホールのカードを
ここで配っているのか。
じゃあもらって帰りましょうと
中に入っていきました。
そのカードの配布場所は
すぐにわかります。
簡単なアンケートを書いて
一枚いただきました。
え~っと、駅鈴とはと書かれて
あるだろうとみてみますと、
あれ?さっきまで見ていた
マンホールとデザインが違うぞ。
担当の人に聞いてみますと、
このマンホールカードの
マンホールは決められた
ところに置いています。
というではないですか。
そのデザインというのが、
この分間の入り口のところに
置かれていたこれなんです。
ああ~松阪牛がメインなのか。
まあ、これだったらわかりやすいよねえ。
しかも牛の首には「駅鈴」も
かかっているしね。
松阪のマンホールのことは
これで完璧に支配しましたね。
では続きを歩きましょう。
松阪の市役所を横に見ながら、
歩いていくと、ここが城の大手門跡。
そう「松坂城」の正面玄関に
あたるところですね。
この城は今は国史跡になっており、
明治の時代から松阪公園として
地元の人に親しまれています。
大手門の先には大きな石垣が
目の前に迫っており、
かなりの急坂ですが
これを登っていきます。
ここが表門のところです。
この先、右は道が左右に分かれていますが、
まずは松阪歴史民俗資料館が
ありますので、そちらに行ってみましょう。
ここはかつて松阪市の図書館
だったのですが、新しい図書館が
別にできたので、その役割を終え、
資料館となったところです。
では入っていってみましょう。
中に入るとこんな看板が立っていました。
この看板の厚みのある
「壺屋紙」が名産品です。
そしてこの「萬能千里膏」の
看板は実はこの字を書いたのが、
池大雅といわれています。
あの蛸地蔵の寺の文字を
書いた人ですね。
そしてこの看板の字も
池大雅だそうですが、
面白い逸話があり、
この看板を書いてもらう
池大雅を待っていたところ、
若い店番が一人でおり、
そこへ通りがかりのうすぎたない人が
「わしが書いてやろう」と
すらすらと書いたそうだ。
それを聞いた店長が起こったものの、
この字もきれいなので
放置してたら、その通行人が
池大雅だったそうだ。
でもまあそういう経過があるので、
萬能千里膏のような
落款がないのだそうだ。
この人の作品の多くは、
重要文化財や国宝として
今も各地に残されていたりします。
ここにはほかにも、
こんな金鳥のみとり粉の
看板なんかもありました。
続く