おいしいうどんとビールで
この世をへらっと伺ったら、
さあ今度は北向いて歩いて
いくことにしましょう。
今日はここから三条まで
歩いていく予定です。
東大路通から玉水町のあたりで
東山の方に少し入っていきましょう。
石畳の道の先に法観寺の
八坂の塔が見えています。
ああ、この道は京都感が満載ですね。
若いカップルは手をつないで
この坂道を上がるのがいいですねえ。
高齢者夫婦は「大丈夫か?」とか
相手を心配しながら
ゆるゆると歩きましょう。
実際はそのままこの八坂神社と
清水寺の間にある八坂の塔にはいきません。
途中から下川原通を
北上していきます。
右手を見ると、こんな石塀小路と
いうところがありますよ。
ちょっと中に入ってみましょう。
ここはなんと伝統的建造物群保存地域ですね。
あの竹富島や湯浅の町と同じです。
ただここは車も通れないほどの
狭い道が続いていますので、
静かな京の町並みが続いています。
こんな狭い道を遊んで通り抜けて、
また元の下川原通に出ていきます。
少し歩くと大谷祖廟の入り口に
差し掛かり、ここから
ねねの道なんかを見ていきます。
もともと高台寺道といわれていたのですが、
電線地中化工事を終え、
広い道幅いっぱいに
御影石を敷き詰めた
石畳の道に整備したことで、
京都らしい風情の景色と
その名が生まれました。
この地で19年の余生を送った、
秀吉の正室である北政所ねねに
ちなんで「ねねの道」といいます。
でもこの辺の住人は
ひっきりなくやってくる観光客で、
また別の意味では大変な生活ですねえ。
そしてやっとこの辺りから
doironは八坂神社へと
はいっていきます。
ここは四条通の東の突き当り
にある神社で、かつては祇園社
ともいわれていましたが、
明治元年の神仏分離令により
八坂神社と名前をかえた神社です。
そもそもは祇園の始まりとなる神社で、
この辺りで行われる祇園祭にも
強く関連しています。
歴史は古く、平忠盛や息子の清盛とも
深い関連を持った施設です。
今も、祇園と接し、様々な
人間模様の曼陀羅の中で
人々の信仰を集めています。
その境内の片隅にある美御前社の前には
美用水が流れ出ていますよ。
思わず足を止め美用水に
触ってみるミセスなのでした。
道はやがて丸山公園の横を通り、
浄土宗の総本山である
知恩院の前に差し掛かります。
行ってみれば、doiron家の
菩提寺の総本山ということになりますね。
中には入らないけど、
周りからしっかり手を合わせておきましょう。
そこから東大路通りに戻り、
その道を横切って三条の駅を
目指して帰りましょう。
着物を着て観光地を回る人々や
白人の観光客たち。
え?こんなところで写真を撮ってと
変に思ったりしますが、
意外にその目の付け所は新鮮で、
なあるほどと彼らの視点に
驚いたりしますねえ。
町の片隅にある小さな地蔵堂が
はっとするほど
観光スポットだったりします。
三条あたりには小さくて
こじんまりしたおいしそうな
お店が並んでいたりしますが、
この日はもうミセスと
たっぷりと東山周辺を観光したので
そのまま帰りましょう。
歩いたのはだいたい7キロぐらいでした。
帰りもいただいた切符で
帰ったのですが、ひとつだけ
三条の駅の近くにこんな
駅伝発祥の地の碑がありました。
大正6年に、この三条大橋をスタートし、
三日間で東京上野の
不忍池ゴールの大会が開催されたようです。
うひゃあ、果てしなく長い駅伝ですねえ。
松阪で駅のことを学び
ここでは駅伝です。
先日の大河ドラマ”いだてん”にも
この駅伝のことが出ていましたねえ。
それにしても現役のころそんな駅伝が
あったら出たかったやろなあ
とか思いながら、
京都春の散策おしまいです。