ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

待ったか松阪4

2019年05月06日 21時25分53秒 | ウォーキング

ここにはほかにも、
先程歩いたところにあった
商売人長谷川氏の商売の軌跡や、
梶原基次郎の作品
「城のある町にて」を
松阪に住む姉の家で一か月かけて
書いたことなど、
松阪市にかかわる展示が
結構ありました。

それから、松阪は木綿の栽培が盛んで、
それを藍で染めたものが
発達していました。
ジャパンブルーといわれた
藍の故郷でもあったのですね。



それから、これは昔の人の
様々な道具みたいな
展示でしたが、
ブラウン管テレビ、ミシン
たらい、洗濯板、こたつ
湯たんぽ、七輪、アース
ウヒャー、どれも
子供の時に触ったことのあるような
ものばかりだったのは、
少しショックでしたねえ。



そんな資料館を出たら、
今度は本居宣長記念館の方を
目指して城跡の中を進んで行きましょう。

城の入り口の方に少し戻って
また山の上の方に上がっていきます。
もともとこの松坂城は
四五百森(よいほのもり)という山に
城を築いたという平山城といわれています。
そこに立派な石垣を築き
城にしたものです。

松坂藩廃藩の後は紀州藩の城として
おかれてありました。
しかし1644年に台風で
倒壊したといわれています。

城の中の地形はいびつですが、
城跡のあったあたりはこうして
高台になっており、そこから
街の景色がよく見える構造に
なっていますねえ。



松阪市の人口は約16万人。



面積も広いのですが、
町の部分も結構発達しています。



二の丸跡あたりには
小さな売店もありましたねえ。



そんな城跡をのんびりと
歩きながらグルリンと
時計方向に回っていきますと
本居宣長記念館の方へと回っていきます。



ここにあるのが宣長の旧宅です。



本当は先ほど訪ねた
旧宅にあったものを
ここに移転させてきているのですね。



床の間の柱に掛鈴をつるして
いたので、別名「鈴屋」と
いわれていたそうです。



そこを出て少し歩くと、
あったのが立派な本居宣長記念館です。

まあここは松阪の中心の記念館です。
入っていきましょう。

そもそも本居宣長ってだれ?
という人も多いでしょうねえ。
名前はよく聞くのですが、
どんな人か知ってるかと言いますと、
お札の肖像画に使われた人・・・
ではありませんね。
残念ながら使われていません。
そうそう切手には使われていましたね。

でもまああまり実績を
知られた人ではありませんね。

記念館で調べていきましょう。

まずは彼の年表がありました。



72年生きて、なんと彼には
生まれた日からの日記があるそうです。

そうそうそういえば、doironにも
49歳からの日記というか
ブログがありますねえ。
最近は、ちょっと忘れていた
このブログの収集にかかっています。

5年間ぐらいを集めなければなりません。
一か月でA4サイズで
250枚くらい。
1年で3000枚。
5年で1万5000枚。
トータルで20万くらいですから、
もしかしたらそういう点では
本居宣長をこえているかも
しれませんなあ。へへ。

年表をよく見ると、
驚くべきことがひとつあります。
なんと彼は、11の元号を
生きていたのです。

昔の人は元号が短いから
そうだったかもしれませんね。

doironなんか今でやっと
3つの年号を生きただけやもんね。

その次にあったのが、
彼の地方での交流です。



実にいろんなところで
いろんな人たちにあってますねえ。

まあdoironもあちこち
歩いていますが、こんなに
人の交流があったわけではありません。

地元では濃いですけどね。

面白いのは富士山に登ったこと。
22歳だったそうです。
doironは28歳の時でしたねえ。
あの時に買った小物入れ袋を
今も使っています。

飛鳥なんかを探索したとも
書かれています。

こんな日本地図も掲げられています。



家の近辺をよく見ると、
堺や岸和田が書かれていましたねえ。
そんな展示を眺めていたその時でした・・・

続く。