以前、この余呉湖に来た40年前には、
羽衣掛の柳がくっきり見えてた
のを思い出します。
この辺りはずらーと見渡せるので
眺めてみると、事前に見ていた
地図とは違うところに
大きな木があります。
近づいてみると、
やっぱりこれじゃないしなあ。
こんな感じのように思うけど、
ここには何も案内がないしなあ。
知ってる限りでは、
この柳のところに
こんな案内板があるはずですよ。
う~ん、それに40年も経つと
思っている雰囲気が
かなり違いますねえ。
天女が空に持ち帰ったのかなあ。
これはもう仕方ないので、
あとで観光館で聞きましょう。
ではめげずに続けて歩いていきますよ。
歩いている道の北側に
線路が見えていますよ。
少し歩けば余呉の駅に行きますねえ。
まあ大阪からライチョウに乗れば、
この駅は通らないですね。
名古屋からだと必ず通ります。
まあそんな位置関係ですって、
よくわかりませんかね。
道端にはこんな北野神社云々と
書かれた石が立っています。
ああ、ここに昔神社でもあったのかなあ。
それからまた湖に近づいてゆき、
しばらく公園のような
空き地のようなところを通って、
ビジターセンターのところに出ます。
ここで資料をと思いましたが、
残念ながらこの日は休みのようです。
ていうか、ふだん開いているのかも
よくわかりません。
まあ、湖一周ですので詳しい
地図がなくても
何とかなるはずです。
それにしても、この余呉湖の名前の
由来を探してみたのですが
これがねえ、よくわかりませんでした。
もしビジターセンターがひらいていたら
教えてくれたかなあ。
さっきの天女の柳は
どこに行ったの?と一緒に、あとで
駐車場で由来も訪ねてみましょう。
それにしてもこの湖は静かですねえ。
周りを山に囲まれているからかなあ。
昔はねえ、別名「鏡湖」と
いわれていたそうです。
このあたりから、歩くコースは
湖の岸に沿って続いていきます。
ところどころで桜が咲いていて
きれいですねえ。
でも誰も花見なんかしている
様子はありません。
そもそも人の少ないところです。
もったいないねえ。
花見にはいいのにねえと思いましたが、
この近くには海津公園など
花見のもっといい所がありますからね。
みんなそっちに行くのでしょう。
でもこの人の少ない静かさはいいですねえ。
桜と話ができますよ。
あ、ここには空を舞う
天女の像があります。
わかりにくいですねえ。
こんな感じ。
なんでもここの天女伝説は
日本で一番古いといわれています。
そしてその内容には3種あるそうです。
ひとつはこの地方を開拓した
伊香刀美という人間に
羽衣をとられた天女が
飛べなくなって嫁になり、
三人の子どもを産んだが
羽衣を手に入れて
飛びだって行ったという話。
もう一つは天に飛びだっていった
天女が7月7日に
水浴びに降りてくるという話。
この話には続きがあって、
この天女の子孫が今も
健在しているという話です。
名字は桐畑だったかなあ。
トライアスロンをしていた
障害をお持ちの余呉出身の
選手もいたなあ。
そして最後が、天女の産んだ
子供があの菅原道真だった
という話の3種類です。
これだけ地元としても
天女に力をいれているのですから、
きっとさっき見つけられなかった
衣掛柳もどこかにあるのでしょう。
これは必ず確認しないとねえ。
その先にはこいのぼりが
ずらずらーっと飾られていますよ。
ああ、こんな地方の都市に、
子どもが生まれてくるというのは
大歓迎なんでしょうねえ。
実はdoiron家でも、
男の子の孫が生まれたので、
こっそりと家の窓に
こいのぼりを張り付けていたのですよ。
張った翌日にもう、
近所の人に
「今年はこいのぼり飾ってるんやねえ」
と言われました。
いやあ百均で買った
こいのぼりなんですが、
なかなか手軽でいいものですねえ。
息子の家では兜を飾ったようですがね。
続く