ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

待ったか松阪5

2019年05月07日 20時37分39秒 | ウォーキング

展示物を眺めていると、
突然「ガチャン」と大きな音が鳴りました。

え~これは地震やあ。

と思ったら奥の事務室から
女の人が飛び出してきました。

え~僕が暴れたんじゃないよ~
と言おうと思ったら
「地震ですねえ」と
飛び出してこられました。

展示物も被害を受けて
いるわけではありませんしねえ。
と思っていたら、
ミセスからメールです。

「地震やで。海の近く歩いてないの?」

というものでした。

「ああ、山の上の展示館にいてるよ」
と言ったら残念そうに、
ではなく安心して答えてましたね。

緊急地震速報が入ったそうです。

余震に気を付けつつ、
展示物を眺めつつ、
こんな額縁なんかも
ちゃんとくっついてました。

松坂じゃ、震度2くらい
だったかもしれません。

心も体も震わせた記念館を出て、
城山を下りてゆきましょう。
次に行くのは「本居宣長の宮」
という神社です。



ここはまた少し山のように
なっていますので、
ふうふうと登っていきますと、
これが宮です。



祭神はもちろん彼ですねえ。



そしてそこにかかれている
平田篤胤は夢の中で
宣長に入門を許された
とした宣長没後の門人として
国学を学んだ人なのだ。

お邪魔していますと
お参りをして、次に
松坂神社へと行きましょう。



ここは八幡さまと稲荷さまを
主祭神とする神社です。
こちらが地域の神様を
守る神社ですねえ。



さあ、かなり回りましたねえ。

帰りも車でひらってもらう
となったら、急がないと
いけませんね。

飯を食う時間もなさそうです。

歩いていると、
こんな看板が目につきました。



ああここが梶井基次郎が
住んだ姉の家ですねえ。
この二階が彼の創作の場
だったんですねえ。



「城のある町にて」
青空文庫なんかで読めますから、
いちど検索して読んでみてください。
つくつくほうしの
鳴き声のくだりもありますよ。

ここから街の中を
どんどん進んでいきます。

大蔵省から銀行頭取となった
地域の名士「原田二郎」の
旧宅なんかも残って
のぞけるようになっています。



まあこの辺は城以外の
松阪の観光を少しでも
盛り上げていこう
という感じですねえ。



そこから駅前道をこえて
入っていったところが



「来迎寺」です。

ここは三井氏の菩提寺だったところです。
角大使なんかのお守りを
配布していますねえ。



そして、近くにあった樹敬寺には
あの本居宣長のお墓があったりしました。



さあこれでまあ、今回の歩きコースの
名所めぐりは終わりです。

時間も帰るのにちょうど
いいくらいですね。

駅の方まで戻っていきましょう。



本日歩いた距離は約8キロとなりました。

ここで電車の時間によっては
軽くご飯とかも考えたのですが、
ちょうど10分後に出る
電車がありましたので、
お弁当を買うことにしました。

駅の駅弁売り場に行くと、
さすがに松阪牛の弁当が
いくつかあります。

doironが買ったのは
「モー太郎弁当」です。



松坂名物、黒毛和牛のすき焼き弁当です。
これを帰りにひらってもらった
車の中で食べて帰ることにしましょう。

千里の駅に着くと、
ほぼ時間通りでうまく合流し、
さああとはもう帰るだけです。
友達もいい食事をしてきたようなので、
許しを得てここから昼食です。

車に乗りながら、
弁当つつきながら
帰宅って最高じゃないですかあ。
おまけにコンビニで
ビールまで買えました。

さあでは弁当を開けましょう。
ウヒャーこんな感じです。



しかも牛の形の弁当箱を開けると、



電子メロディで「故郷」の
音楽が流れます。
なんとまあ凝ってますねえ。



中身はというと、こんな感じ。
これはおいしい
すき焼きでしたねえ。

春の田んぼや、西名阪の山の
景色なんかを眺めながら、
遅い昼食を楽しんだのでした。

次回は5月にまた行くそうですから、
邪魔にならんかったら
その時もよろしくねえとお願いして、
40数年ぶりの松阪を
堪能してきたdoironなのでありました。

おしまい