先日、富士山御殿場口に、フジアザミを見に行ってきました。
と、言うよりも、須走口に続く道を確認に行ったのですが、
裏道になってしまったせいか、入り口の案内もなく、人も居らず、
しばらく、富士山の広大な荒野を彷徨しました。
こうした場所を一人で歩くと、人のチッポケさを痛感します。
もし、何かあって動けなくなったら、確実に死ぬでしょう。
そして、その翌日、SN協会の大先輩の訃報が届きました。
様々なガイドをする中でも、急に体調を崩す方が多くいます。
そうした方をフォローしながら、無事、全員の完歩を目指すのが、
ガイドの役目なのですが、そのためにも、色々な準備をして臨みます。
富士山南東側の荒野には、スコリアの大砂漠の荒野に、
大小さまざまなフジアザミノの株が、点々としています。
数年かけて地中に根を伸ばし、小さな花を付け、
年々と大きな株へと成長して行きます。
そして、時には、雨や雪で流され、消えて行く株もあります。
人も、大自然の中では同じなのでしょうか?
そんな心もちから、このフジアザミがいとおしく感じます。