もう、11年も経ってしまっていたんですね。とてもすてきなお家を新築させていただいてから。。。ぼくは当時31歳でした。時が経つのはほんとうに早いものです。
当時のKさんは現役を退いたばかりで、まさに『かくしゃくとした』存在でした。ご自身が創業された会社は市内でも有数の企業となり、その歴史をお聞きするのが、ぼくはとても好きでした。
ぼくにとってのKさんは、見習うべき経営者像そのものでした。
新築工事の最中、意思疎通がうまくいかないことがありました。その時のKさんは、とても厳しくぼくの至らない点を適切に指摘してくださいました。そして、指摘しただけではなく、その後は笑顔で『まぁきたざわさん、よろしくたのむよ』と肩をたたいてくださるのでした。その厳しさと共にあるいたわりの姿に、ひどく感動したことを覚えています。
昔話で印象に残っているのは、東京へ奥様とともに集金に行かれたときのことです。当時は道路も整備されておらず、車にガタガタ揺られながら風呂敷に包んで帰ってきた時のことをお話しくださいました。創業当時のご夫婦の姿がありありと目に浮かぶようです。
Kさんはきっと、『なぁ、きたざわさんよ、おれは悔いのない人生をおくったよ』とおっしゃるに違いありません。そして今日ぼくは、85年の人生を生き抜いたKさんの亡骸を見て浮かんできた言葉がありました。
『ありがとう、ございました・・Kさん』 と。
当時のKさんは現役を退いたばかりで、まさに『かくしゃくとした』存在でした。ご自身が創業された会社は市内でも有数の企業となり、その歴史をお聞きするのが、ぼくはとても好きでした。
ぼくにとってのKさんは、見習うべき経営者像そのものでした。
新築工事の最中、意思疎通がうまくいかないことがありました。その時のKさんは、とても厳しくぼくの至らない点を適切に指摘してくださいました。そして、指摘しただけではなく、その後は笑顔で『まぁきたざわさん、よろしくたのむよ』と肩をたたいてくださるのでした。その厳しさと共にあるいたわりの姿に、ひどく感動したことを覚えています。
昔話で印象に残っているのは、東京へ奥様とともに集金に行かれたときのことです。当時は道路も整備されておらず、車にガタガタ揺られながら風呂敷に包んで帰ってきた時のことをお話しくださいました。創業当時のご夫婦の姿がありありと目に浮かぶようです。
Kさんはきっと、『なぁ、きたざわさんよ、おれは悔いのない人生をおくったよ』とおっしゃるに違いありません。そして今日ぼくは、85年の人生を生き抜いたKさんの亡骸を見て浮かんできた言葉がありました。
『ありがとう、ございました・・Kさん』 と。