地球と生きるYOGA  「Union Yoga japan」

京都を中心に活動を続けている Toshiの活動記録
生きたヨーガを伝える ちょっと真面目なあるヨギのブログ

「雑学の道」~ヨガ編~ ベジタリアン

2017年07月05日 | つぶやき
ヨガについて思うあれこれを書こう 第3弾

ベジタリアンということについて。



僕はベジタリアンです。
今から13年前、25歳の時に養生園にいる時にベジタリアンになりました。
スワミ・チェータン師に勧められて。


僕の言うベジタリアンとは
牛、豚、鶏、魚等の生きている動物を食べないという意味でのベジタリアンです。
と言ってもがちがちではないですが。
だし,なんかは今は気にしないようにしています。


基本的に、生きているものを殺さないと食べれない 
というものは食べていません。
かと言って、肉を食べることを、いけない とか思うことはもちろんありません。
ただ、自分は食べない、というだけです。


でもそんな風にベジタリアンだと言うと 色々と誤解を受けたり、
議論をよんでしまったりします。

そんな中で、たまに指摘されるのが、
野菜も生きてると思うんだけど、それはいいんですか?
という質問。

これって僕はとてもするどい質問だと思うんですね。

動物は殺さないって言ってるけど、植物を殺しているじゃないか!というご指摘ですね。

そうなんです、植物を確かに野菜は切り刻んで、痛めて(炒めて)、食しています。

これはどういうことでしょうか?

僕はこれには自分なりの解釈がいくつかあります。
まず、一つ目は
これがなかなか大事だと思うんですが、
実は植物は殺されていないということ。

これはおもしろいパラドックスなので、少し説明がいるかと思いますが、
まず植物には、切られたら死ぬ、という現象は動物と同じようには
当てはまらない、ということです。

例えば、布団で気持ち良く寝ている人を引っ張り出して
手やら足やら切ると、恐ろしい痛みを経験させ、
ほっておけば、出血多量で死に至りますよね。

でも土という布団で眠っている玉ねぎを土から引き抜き、
頭を切り落としたとしても、それは死なないですよね。
たとえ、しばらく放置されても生きていますし、
半分に切ったとしても、水に漬けてうまく置いておけば、
根を出します。
そうするとそこからまた新しい命をどんどん増やしていきます。

トマトだって果物だって、それを本当の意味で殺そうと思えば、実を録ったり、
葉っぱを切ったり、枝を切ったりするぐらいじゃあ 殺すことはできません。
もし それを死に至らしめたかったら、根こそぎ抜いて、焼払うぐらいでもしないと
殺すことはできないんです。身を食べたり、葉っぱを食べたりしたところで
殺すということは到底できないんです。
むしろ身を食べて、自然の中で排便をしたら、
種がうまく土と繋がりさえすれば、そこからまたいくつもの命が生まれてくることにも
繋がっていきます。

植物の命というのは、動物の命とは ある意味次元が違うんです。

僕は庭師として働いていたんですが、その現場では植物の持つ 恐ろしいほどの生命力を
感じました。

そこには動物とは全く違う、命の価値観があります。

そして植物は個としてそこに存在しているわけではなく、
全体として、またその一部分として存在しています。

なので、個を失ったとしてもそこには消失とは全く違う意味での変化があります。

植物を食べることができる、ということ、
これは僕は自然からのギフトだと思っています。
自然は動物が植物を食べることを計算に入れて、
またそれをうまく利用して、植物の進化へと繋げていっています。


なので、植物を頂くことと、動物を食べる、というのは
根本的に意味の違うことなのかな と僕は感じています。

皆さんはどう思いますか?



・・・それでは続きはまた明日^^

Union Yoga japan
児玉俊彦(Toshi)
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