地球と生きるYOGA  「Union Yoga japan」

京都を中心に活動を続けている Toshiの活動記録
生きたヨーガを伝える ちょっと真面目なあるヨギのブログ

「雑学の道」~ヨガ編~ ベジタリアン その2

2017年07月07日 | 「雑学の道」

さて、ベジタリンが食を語る 第2弾です。
お暇な人はお付き合いください^^

さて、一昨日は植物と、肉の違い、ということについての僕の考えを書いてみました。



今日はその続きをとして、
野菜を食べることと、肉を食べることと
大きく違うなと感じることの2つ目は
それは、言うまでも無いことかもしれませんが、
肉、である動物達には、僕たちに近い形での心や感覚があるということ。

僕たちは、個として感覚や感情、精神活動がありますが、
植物にはそれが無い、とは断言できませんが、
少なくともそれがあったとしても、僕たち動物としての
感覚とは全く次元を異にした意識が展開されているのではないかと
思います。

それはひょっとしたら、ヨガが追求している
「全体性」の意識かもしれません。
(それは誰も確かめようがないんですけどね)
なので、植物をたとえ切り刻んだところで、
痛みや苦しみというのは僕たちと同じような形では
無いと思っています。

ですが、動物には僕たちに限りなく近い、もしくは同じ意味での
個としての痛さや、辛さ、悲しさなどを持っています。
牛や馬や豚、どれも感覚や感情を持っています。
もちろん死に対する恐怖もあります。

なので、肉を食べるということは、その負の感情を間接的にであれ、
与えてしまっているということ。

僕が肉を食べないということに関しては、殺す、殺さないに関わらず、
その負を与えているか、いないか、という判断が影響しているように思います。

だから、昨日の冒頭に書いたような、
植物は食べても(殺しても)いいんですか?という質問に対して、
ぼくは、植物は食べても、死ぬことも痛みを味わうことも無いから
大丈夫、と思っています^^



そして、僕の場合は肉を食べないことによって
以前より精神面、肉体面において
より調子がいいいと感じています。
そこは、なぜ?や どんな風にというのはここでは渇愛しますが、
かなり、いい感じなんです^^
それこそ、肉体労働をしていても、普通に肉を食べる人よりも
元気でエネルギッシュなぐらいです。

なので、肉を栄養や、健康の観点から食べるという必要を
全くと言っていいほど感じていません。

じゃあ、仮に栄養や健康に 肉が寄与するものがほとんどなくて、
育てることができる野菜だけで十分に健康を保てるとしたら、
肉を食べる理由って何でしょう?

僕はその答えに気がついたときに、
肉を食べる必要はないんだな、と思いました。


・・・その答えは、ひとそれぞれなのでここではあえて書きません(^_-)-☆


でも、こうしてベジタリアンになってみて 感じるのは、
肉を食べるという選択肢が減ったことによって、
ある意味において、より楽に生きれているな~ ということ。
楽だから続けているんだと 思います^^
そして、おいしい野菜達が巷にはあふれているから♪



人が生きているからには、
必ず何かの殺生の上に成り立っているので、
ベジタリアンだから無害だ、なんてことは思いませんし、
僕が肉を食べないことぐらいで、なにかが変わるとは思いませんが、
できるだけ、傷つけずに生きていけたらいいな~という
想いを育む一環として、
できる範囲で小さなことを積み重ねていければと思っています。

いい、悪いではなく、
自分にある矛盾を小さくして、
自分が気持ちよく生きていくために。

食に関しては、みんなそれぞれの想いを持っていると思うので、
それぞれがベストな選択をしていけるようになればいいなと思います。


ベジタリアンについて思う所は他にもたくさんあるのですが、
書ききれそうにないので、今日は
このあたりにしておきたいと思います。


 
長文になってしまいましたが、
お付き合いいただきありがとうございました☆


Union Yoga japan
児玉俊彦(Toshi)

H.P. 「Union Yoga japan



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