(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

あぁ伝説の新快速

2020年03月13日 | 【金の成る木ぢゃ】YouTube総合【ないんだよ】
 まぁ、国鉄時代から「近江塩津発播州赤穂行き」新快速は存在してたが、JR化後の交直流デッドセクションの敦賀移動で「敦賀発播州赤穂行き」にまで進化を遂げていた。
 「スーツ」系のうp主で、淀みない解説で進行する手法。実は嫌いじゃない。寧ろ「金失するのに勤務先から直接きたよな『スーツ』姿で大宮に現れる」のが謂れありまくりで嫌いというか嫌だというか。

 同じ「列車」なのに、始発側の編成を切って、後付けの編成が終点まで行くというのは、実は国鉄時代の東北本線にあったもの。黒磯発盛岡行きナナゴ牽引鈍行135レがそれで、元々の黒磯発は仙台までで、福島駅で繋げた方が盛岡まで行くというものだった。客車運用の絡みで所属区所に戻るのと、コレから運用に入るのとが併結になったもんだと思えばいいか。
 コレに対して列番コロコロ変わるけど、基本は同じ列車・同じ(ryってのが奥羽本線にあった。福島発、山形、新庄経由、秋田行き431レ(他数本)か。
 こっちは山形まで431レとして走り、50系客車4両を増結して1431レに化けて、新庄で増結した分を置いて2431レにヘラ変わりしてゴールインしてた。月刊ケケ島では早朝~昼間に走った旧客の427レ~1427レ~2427レが取材されてたが、列番違うのに同じ車輛ってのも「はい↗️」って言いたくなるが、まぁずっと同じ人間が乗ってるなんてことは、国鉄末期じゃあり得ないことだったからコレはコレで。
 国鉄時代の理屈がまだあんな所に生きてたっていうのも意外だけど、それが西日本で、っていうのが東京に住んでるとうほぐ人としては意外だったなと思うのであります。

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