昭和46年前後の入局組ってどういう諸先輩方がいたっけな・・・とか思い起こしてみると、今の局に異動してきてから物凄くお世話になった方々がいっぱいいたのを思い出す。既に定年でお辞めになられて十年近く経つ人々達だが、今もお元気な人、病気で鬼籍入りした人、様々いらして感慨深い。
家頁『主要客車列車編成表』がまた更なる更新を行ったようで、今回の更新ではまたぁゃιぃ列車の編成が出てきた。その一つが汐留~熊本間に設定されていた、昭和46年10月の荷31レ、荷1042レ~32レである。
下りはスニ40、41(書いてないが当然、場合によってはワキ8000、ワサフ8500)が8両、鋼製荷物・郵便車が2両の10両編成。アルミ合金でギンギラギンのギンである。列車番号が若いので汐留出たのも早い時間と思うが、コレを浜松区や宮原区辺りのゴハチが牽いてたのかと思うと何とも言いがたい気分になる。
だが、職業的に「ひでぇな・・・w」と思ったのは、たった1両の郵便車がオユ12だということだ。後のスユ15と同じ「護送便専用」の郵便車で車内区分を行わない、「〆切大郵袋」だけが載る奴である。
尤もオユ12だから、郵袋を「投げる」職員とそれを査数塩梅する「主事」(今でいう課長)が乗務していたと思うのだが、車内区分やんないで郵袋だけエンヤトットかぁと想像したら何だかなぁ・・・九州方面だけで車内締め切ったらスユ44で十分じゃん。運送記一枚ペッで済んでしまうし、数合わせも事後でいいし。何か差立てるのあったの?と言いたくなった。
後年、郵便も鉄道輸送から撤退してトラック輸送にシフトしていくことを思うと、恐らく現場からも文句が出たろうと想像できる。模型のアクセントにはなるが、現場からしたら載るのないのに態々・・・国鉄当局は何考えてたのだろうか?
家頁『主要客車列車編成表』がまた更なる更新を行ったようで、今回の更新ではまたぁゃιぃ列車の編成が出てきた。その一つが汐留~熊本間に設定されていた、昭和46年10月の荷31レ、荷1042レ~32レである。
下りはスニ40、41(書いてないが当然、場合によってはワキ8000、ワサフ8500)が8両、鋼製荷物・郵便車が2両の10両編成。アルミ合金でギンギラギンのギンである。列車番号が若いので汐留出たのも早い時間と思うが、コレを浜松区や宮原区辺りのゴハチが牽いてたのかと思うと何とも言いがたい気分になる。
だが、職業的に「ひでぇな・・・w」と思ったのは、たった1両の郵便車がオユ12だということだ。後のスユ15と同じ「護送便専用」の郵便車で車内区分を行わない、「〆切大郵袋」だけが載る奴である。
尤もオユ12だから、郵袋を「投げる」職員とそれを査数塩梅する「主事」(今でいう課長)が乗務していたと思うのだが、車内区分やんないで郵袋だけエンヤトットかぁと想像したら何だかなぁ・・・九州方面だけで車内締め切ったらスユ44で十分じゃん。運送記一枚ペッで済んでしまうし、数合わせも事後でいいし。何か差立てるのあったの?と言いたくなった。
後年、郵便も鉄道輸送から撤退してトラック輸送にシフトしていくことを思うと、恐らく現場からも文句が出たろうと想像できる。模型のアクセントにはなるが、現場からしたら載るのないのに態々・・・国鉄当局は何考えてたのだろうか?
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