海山散歩人

古希を過ぎても、ライフスタイルは変わりようもなく、ジタバタしながら生きている高齢極楽トンボのブログです。

鎌倉時代の処刑場

2022-12-01 | 近隣散歩
師走に入ってNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人も」最終月となりました

鎌倉幕府に謂れある場所巡りの散歩はこれで一段落のつもりで歩いていて、よく行くお蕎麦屋さんの近くの妙な場所が以前から気になっていた。

市街地なのに空地で碑が立っていて、土地の手入れもされていない場所に説明掲示板が建てられている。

三浦胤義(たねよし)という武士に纏わる説明が書かれているけど、大して気にも留めなかったがNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にこの人物が登場してからよく読んでみた。

風光明媚な田越川に面する一等地にある


この場所だけが空いていて手入れもされていない


武士はここで処刑されたらしい


後鳥羽上皇と北条義時の争いの際、三浦胤吉は上皇側について敗れてから、子供四人とこの田越川の河原で処刑されたと書かれている。
この場所が処刑場ということだろうか、だから利用してはいけない空地の一等地なのだろうか・・・・・

柵で囲われて立ち入りできない場所もあるけど・・・・


京の三条河原など川・海の側は処刑場に使われた場所が所々に存在する。
処刑跡の血痕や死体を水で処理できるから、都合のいい場所ということなのだろう。

市街地から住宅街を通って逗子湾に出るお洒落な雰囲気の川


そういえば、この川の下流域に平家の六代御前の墓もあったのを思い出して行ってみた。

歩いて10分ほどで到着した


何十年振りで訪れただろうか、昔は観光地の雰囲気が漂っていた気がする。
碑の後ろの広場は観光バスが泊まるような場所だったと思う。

墓は駐車場の突き当りの小高い場所にある


大きなケヤキ数本に囲まれた場所で、そのうちの最も大きな木の根元に六代御前の墓石があった。



六代御前は平家一門の六代目、ここで処刑されている


壇ノ浦の戦で平家が滅びた時、子供だった六代は頼朝と親しかった高僧の助命嘆願で助かったものの、その後処刑されたと云われている。

平正盛から六代目にあたるので「六代」と呼ばれているけど、本名は分からないらしい。

この先が逗子湾で、若い頃シーカヤックで遡上してきた


鎌倉幕府の痕跡が彼方此方にあって、自分が住む街の歴史を振り返っています。

退職してから郷土史を読んで、驚いたり感心したりの史実やその土地の謂れに興味が湧いて、彼方此方と徘徊して確認した時期がありました。

今回はNHKの大河ドラマが身近な場所をテーマにしてくれたので、複雑な歴史・人々の関わりも分かりやすく想像力が膨らんで、見慣れた景色も改めて興味深くなってきます。

日本の歴史も、何百年も戦争を繰り返して現代の形になったと、つくづく思い知って感慨深いものがあります。


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