元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

NHK夜ドラ・バニラな毎日・31回=助けが必要な時は借りればいい⇒自分を他人にいかに伝えるかもこの世の試練

2025-03-13 13:10:48 | 人間関係・心理学

 バイク事故・白井にまた試練、それを乗り越えて進む人生こそ、私たちの白井さん

 どうにか順調に再び店の経営が動き出した矢先、白井葵はバイクに引っ掛けられ、パティシエの命ともいうべき右手を負傷。一方佐渡谷真奈美はフランスの彼氏ヴィクトーと結婚するというので、白井はまだ十分に動けない右手を抱え結婚式のケーキを作ると言い出し、お菓子教室に通った生徒のみんなとやっとのことで、クリスマスツリーのような大きなケーキ(クロカンブッシュ)を作りあげる。でも、今までの白井だったら自分の手で作りあげていたのにという思いがある。車いすの助けをかりている生徒・結杏が言う。助けを借りていいではないですか。助けが必要な時は助けを借りればいい。白井さんは、ちゃんとそのための「マネジメント」をしてくれたと。白井が蓄積してきたお菓子つくりは、単なる技術だけでない、「技量」ともいうべきもの、どういうお菓子を作るかに始まって、どこでどういうふうに作っていくか というもの そしてそれを他人にどう伝えていくか というマネジメントまでを含めたものだと思う。単に右手を使って作りあげるお菓子作り以上のものだと考えられるのだ。

 私は一匹オオカミでやってきた。他人の力を借りずに一人で黙々と仕事をしてきた。またそれが会社で認められる方法だと信じてきた。人によっては、他人の力を借りながらうまく仕事をやれる人もいる。むしろ、今では、そういった人との共同歩調を取りながら動くことができるものの方が認められるのだと思う。技術的なことから言えば、それがマネジメントだと思うし、会社の中でうまく動いていけるもののようだ。そして、今、仕事一途でやってきた自分が、誰も自分の周りにはいなくなった。どうなってんだ、私の人生(退職後)。

 あの世では、他人が何を考えているか、たちどころにわかるという。しかし、この世では、それが分からず出来なくなって、他人との調整をうまくやりながら、その距離をうまく保っていくことが求められる。この世では、自分がどう考えているかを他人に分からせることは難しいが、分かってもらうことをやらなければ、うまく家庭や仕事場で動いていかないのも事実。それが、この世で自分たちに課せられた試練だという人もいる。社会、会社、家庭でどういうふうに自分を伝えながら生かせるかというのが、自分たちに課せられているというのだ。今回の白井さんのように、 他人の力を借りて菓子を作りあげるというのも大切な自分の活かし方なのだ。

 高齢者になっても、社会とのつながりを持つことは、認知症にならないための良い方法だという。人と話すことは、脳を活性化するという。私のように全く社会とのかかわりがなくなってしまうのは、ぼけるための条件が整いすぎている。高齢者の女性がよく2人で散歩をしているのも見かけるが、それだってボケないためには良い方法であろう。我々は、社会とのつながりを全くなくしてはいけないように出来ているようだ。(自分への反省)

 いずれにしても、自分がこの世の社会とのかかわりの中で、どう問題を解決しながら、魂を向上させていったのかが問われているといいます。あの世に行ったとき、神様の前で、こんなこともこんなこともあったけど、こんなことでうまくいって、今ここにいるんだと言える自分になりたいのです。それが、あなたをの魂を一段階上にあげてくれるのだ。

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NHK夜ドラ・バニラな毎日=「すっぱいブドウ」の合理化の限界⇒それらを全て受け入れること

2025-02-27 12:50:10 | 人間関係・心理学

 お菓子の香りに包まれような精神的に癒される夜ドラです!!

 白井葵は、パティシエの修行後、ようやく大阪で長年の夢だった洋菓子店を開いたが、経営はうまくいかずに、店を閉じることになった。そこに、謎の料理研究家、佐渡谷真奈美があらわれ、閉店したその厨房で「一人だけのお菓子教室」を開くので協力してほしいというのだ。それぞれに心に悩みを抱えた生徒たちが、何人か現れた後、居抜きで厨房を買取したいという人が現れ、佐渡谷は、それなら最後に、生徒は白井本人で材料などは自分が用意するから、もう一度お菓子教室をやろうということになったのだった。

 そして佐渡谷が作ったパウンドケーキを食べて、白井はつぶやく。「一流のお店にしたいと、最高の素材で最高のケーキを作りたい、要らないプライドばかり膨らんでいった。でも、この佐渡谷さんのケーキは、すごくシンプルなのに、こんなにも幸せな気持ちになれるってすごいなあ」と思った。佐渡谷が「また目標のために頑張るんでしょう。」というと、白井は「でも、私これからどうしたらいいんですかね。」といい、「あなたは大丈夫、私がいるから」と佐渡谷は応えた。

 経営はうまくいかず店を閉じることとなった白井。一時的に始めた一人のためのお菓子教室。そして、最後のお菓子教室で、佐渡谷が作ったケーキを食べて、自分が作って来たケーキは何だったのだろうと打ちのめされたのだった。

 「すっぱいブドウ」というイソップ童話はご存じだと思います。山路をきつねが歩いていると、いかにもおいそうなブドウが垂れ下がっていますが、ちょっと高いところにあるようです。飛びあがっても取れません。きつねは「あんなすっぱいブドウなんて」くやしまぎれにいって立ち去ります。これを心理学的には、酸っぱいブドウの「合理化」といいます。

 しかし、いくら合理化をしたところで、おいしそうなブドウはすっぱいブドウに変わるとは限りません。食べてみなければ、分からないからです。一流の店にしたい(最高の素材で最高のケーキ)と掲げた目標は、経営上ストップしてしまったのです。白井にとって、悔しさがつのります。なんぼ、心理的「合理化」をしようとしても、経営上ゆきずまったという事実は消えません。

 今は、それらすべてを受け入れて、できる限りやさしく、今の気持ちを包み込んでしまうこと そして、それが過去に囚われているあなたの気持ちをいやすことになるのです。

 この世に完全な間違いなんてないのです。なにが間違いだったかは、判断する時、場所、状況によって違い、なにが良かったのか何が悪かったかは、一概に言えないというのが本当の所です。あなたは、その時々に応じて、自分なりにその時のただしい判断をしたはずです。大切なのは、あなた自身がそれを認めてあげることです。過去にとらわれ、あのときはこうすべきだったといっても、そこからは何ら得られません。その時は、あなたにとってベストの選択をしたにちがいません。そのときの自分を認めて「受入れる」「受容」しかないのです。(「心の魔法」ゆうきゆう著・オーエス出版社から当段落は「引用」他は同趣旨)

 まずは、この自分を受け入れること、それができて初めて整理することができます。これからどうすべきか、次の段階の「再生」のポイント(私はまとめて見るので20回目しか見ていませんが・・)は、静(最初の生徒になった作詞家)が言う「お店に愛が足りなかった」のか、佐渡谷のケーキのように「目の前の人に喜んでもらえる菓子」のなのか、今までの「自分」を受け入れて初めて、今まで見えなかったものが見えてくるのです。何のためにお菓子をつくるのか見えてくるはずです。

 このドラマを見ていると、バニラなどのケーキの甘い香りが、常に漂っているような気にさせられるのが不思議、癒されます。佐渡谷の白井に対する「大丈夫、私がいる」というのも、カウンセラーの「受容」ですもんね。

   人生の終焉に向かいつつある私は、ここで人生の整理をしたいと思っています。考えれば考えるほど、思うとおりの人生ではありません。なにかやり残したとか、うまくいかずこうできなかったのかとか、悔やまれることは山々ですが、失った過去は取り戻せません。しかし、その時は一生懸命心血を注ぎ、生きてきました。その時、精神的に弱気な自分を含めて、できるだけのことをやってきたのも事実です、そうまるごと、その自分を認めてしまうしかありません。今の自分と過去に生きてきた自分を丸ごと受け入れること。そう思って、後期高齢者になる前に、ここで人生の第3四半期の決算をしておきます。 

 

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BSNHK・True Colors テーマがシンディ・ローパーの曲名に同じ=虹のような本当の自分(色)を取り戻せ

2025-02-24 17:20:29 | 人間関係・心理学

 自分の本当の色って虹のように美しい=本当の色を他人に見せるのを恐れるな(歌詞)

 音楽に疎い私は、このテーマソング「true colaors」がこのドラマのタイトルと同じだという認識はあったのですが、これが、シンディ・ローパーの名曲であることも知らずにいましたところ、物語の内容にひかれるうちに、この歌詞の内容にも通ずるものがあることが分かってきました。

 独特の色彩感覚で脚光をあびるファッションフォトグラファー立花海咲は、その頂点に立とうとしていた矢先に、難病の錐体ジストロフィを患い、その道に進むのが困難となった。その頃、音信不通としていた妹から結婚式に出てくれないかとの手紙が届き、母とも縁を切った因縁の故郷(熊本県天草)に足を踏み入れた。

 ファッションフォトグラファーを究めることが困難となった自分に絶望する海咲だったが、幼馴染の晶太郎の家に居候して、かたくなな自分の心が晶太郎やほかの人から解きほぐされ、だんだんと昔の素直な自分を取り戻していく。歌詞は自分の本当の色を他人に見せることを促しています。自分の色を取り戻せということが大切だというメッセージです。自分の本当の色は虹のように美しいという。第8回「それぞれの色」では、天草にいたるところで虹が見られ、その覚え方にもいろいろあり、海咲とわだかまりのあった辻村多一郎(母の後)の英語の覚え方は、その虹を作っている人の英語名だという。

 一方の晶太郎も、同様に、海咲との関係の中で自分の道を究めようとするのだ。彼らは、幼馴染というお互いの友情や愛?の中で、寄り添い、支え合っていく関係だった。これは、歌詞の中の「あなた」と「歌い手」(話者)の関係。気を落としているあなたに向かって話している相棒なのだ。相棒はつらい時にもそばにいるので、いつでも呼んでよ(You call me up)といっている。

 心理学的には、自己受容と相棒との愛をテーマにした心あたたまる歌詞といえる。ドラマは、天草の美しい空と海、それをバックにした教会を景色に見ながら、海咲が自分を取り戻す姿が、ゆったりとした進行の中で展開していきます。

 「true colaors」の歌詞

You with the sad eyes, don’t be discouraged  Oh I realize it’s hard to take courage
悲しい目をしてるあなた、気を落とさないで  勇気を持つことは大変ってことは分かるよ
In a world full of people  You can lose sight of it all
たくさんの人がいる世界の中で、全ての光を見えなくなることだってあるだろう
And the darkness so inside you    Can make you feel so small
君の中にある暗闇が、君を小さな存在のように感じさせるんだ。

But I see your true colors shining through I see your true colors shining through
光り輝いてる君の本当の色を私は知っているよ  君の光り輝いている本当の色を知ってるよ
So don’t be afraid to let them show your true colors
だから、君の本当の色を他人に見せるのを恐れないで
True colors are beautiful like a rainbow
本当の色って、虹のように美しいよ

Show me a smile then, don’t be unhappy  Can’t remember when I last saw you laugh
だから、私に笑顔を見せて、悲しまないで       最期に君が笑ったのを見たのは、いつだったか思い出せないよ
If this world makes you crazy and you’ve take all you can bear
もしこの世界が君を苦しめ、その全てにずっと耐えてきたのなら
You call me up because you know I’ll be there
私はそばにいるので、いつでも呼んでよ

And I see your true colors shining through I see your true colors, and that’s why I love you
君の光り輝いてるよ本当の色を私は知っているよ、君の本当の色を知ってるよ それが私があなたを愛する理由
So don’t be afraid to let them show your true colors
だから、君の本当の色を他人に見せるのを恐れないで
True colors are beautiful like a rainbow
本当の色って、虹のように美しいよ

Can’t remember when I last saw you laugh
最期に君が笑ったのを見たのは、いつだったか思い出せないよ
If this world makes you crazy and you’ve take all you can bear 
もしこの世界が君を苦しめ、その全てにずっと耐えてきたのなら                                                                                       

You call me up because you know I’ll be there                                                                                                                       私はそばにいるので、いつでも呼んでよ

And I see your true colors shining through I see your true colors, and that’s why I love you
君の光り輝いてるよ本当の色を私は知っているよ  君の本当の色を知ってるよ それが私があなたを愛する理由

So don’t be afraid to let them show your true colors
だから、君の本当の色を見せるのを恐れないで
True colors are beautiful like a rainbow
本当の色って、虹のように美しいよ

I see your true colors, and that’s why I love you                                                                                                                    君の本当の色を知ってるよ それが私があなたを愛する理由       

so don’t be afraid to let them show your true colors                                                                                                            だから 君の本当の色を他人に見せるのを恐れないで

True colors are beautiful like a rainbow
本当の色って、虹のように美しいよ

 (日本語訳;甲斐英司)

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BSNHK・True Colors 過去との対峙で自分の記憶の中で悪い思いを良い思いに変えることが重要

2025-02-02 07:22:02 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 過去に囚われていた自分を解放し本来の自分に戻りワクワクする人生を取り戻そう!!

 色彩のディーバ―(歌姫)立花海咲は、独特の色彩感覚で脚光をあびるファッションフォトグラファー、ミラノにも認められ、今まさにフォトグラファーの頂点に立とうとしていた。しかし、過労と思い受診した大学病院の眼科医の朝倉から「錐体ジストロフィ」という進行性の難病を告げられた。視力だけでなく色覚の低下は時間とともに進んでいくフォトグラファーにとって障害となる病気。呆然自失の海咲の下に、今まで音信不通としていた妹から結婚式に来て欲しいとの知らせが届き、母とも縁を切った因縁の故郷(熊本県天草)に足を踏み入れようとする。

 海咲の場合は現実の故郷に戻ってその過去と対峙しようとするのだが、斎藤一人さんにいわせると<※>「自分さがしの旅」といって、自分の記憶の中を旅するだけで十分と言う。自分を失う前の自分、否定される前の自分、こわがり、心配性、そういった性質を持つ前の「本当の自分」に会いに行くことだという。自分本来の姿に帰って見るということだろう。

 それと同時に、過去の自分が失敗したこと、恥ずかしく思った出来事、自信を失ったことや傷ついたこととか、思い出すといい気がしないような過去を一個一個「いいこと」にひっくりかえすこと、オセロの黒を白に変えることが重要だという。

 例えば、子供の頃の自分は、親の期待を一身に背負って、一生懸命努力したけど応えられなかった自分。テストで落第点を取った自分。あの時、親のがっかりした顔を見て、自分は傷ついて落ち込んだり、自信を失った。どちらにとっても不幸。しかし、子供にとって親は十分な力量をもっているように思えるけど、自分が親になって分かるけど全然完璧でもない、未熟なんだと分かる。そこで、そのときに戻って、大人の目で未熟な親をみる。うちの親は未熟なのに、育児放棄もしないで、ちゃんとご飯を食べさせて、学校に行かせてくれた。それだけで、ありがたいとなるのではなるのではないか。

 一人さんは方程式、英語ができなかった。先生が方程式が出来ないと、また、英語が出来ないと困るよといったけど、今までそれで困ったことはない。(必要になれば必要に迫られてマスターできるのではないか。) また、一人さんは、野球も相撲もからっきしダメだけど、(努力はしたけど、私の場合は運動全般ダメで、鉄棒の逆上がりや跳び箱ではみんなの前で大恥をかいた。)、それで飯を食うわけではないという。さらに、おく病な人は、それなりに準備を整え成功に至るように、必ずしも欠点ではないというのだ。

 このように、過去の「思い」は、単なる思い違いや、軽く「思い」を変えるだけのものから、重く「思い」を転換しなければならないものまで、その思いには大小があるにしても、現在に立ち返ってみれば、その思いをいい方に変えることができるだろう。

 そんな思いは思い出せないと言う方もいるかもしれない。そのきっかけとしていい方法がある。唐突だが、あなたは、猫派、犬派。私は犬派派だ。犬も猫も人間の何倍も年を取るので、家族同然にかわいがっていた犬も猫も必ず自分とお別れの時期が来る。その時の感情を思い出してみるといい。その時に巡り合った家族やお別れした犬のこと、それに対する感情の動き。そこから思い出すと何らかの当時の何らかのいい思いとともに悪い思いも、いろいろ湧き上がってくるはずだ。

 これらの過去の悪い思いは、そのままにしておくと、とげが刺さったように、あとから、知らず知らずのうちに、あなたをがんじがらめにする。そのとげを抜き去ることにより、心の奥で知らずしらずに、過去の自分に囚われていた自分から解き放たれ、「現在の自分」が「自由に」考えをめぐらすことができるのだ。そして、ワクワクするような自分がいることに気づいたら、確実にもうあなたの人生はいい方に動きだしているのだ。

 <※>著者;斎藤一人 自分さがしの旅 kkロングセラーズ 

 なお、この本のそのまま引用する部分と自分なりに解釈して要約したところがある。そのまま引用するのは、著者も認めているので問題ないと思われるが、要約部分等については、著者の思いとは違った解釈になっているかもしれないのをお詫びし、文章全般の責任は自分にあることを記します。

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国債発行残高の拡大大丈夫・通貨発行残高の制限は?金本位制・貨幣数量説・MMTとは?

2025-01-04 14:42:02 | 経済・歴史

 国債は未来に禍根を残すのか?未来への投資では・・・ 国債の残高は実質ゼロ

 2025年の国の予算案は、115兆円超で国債額は28兆円超。日銀の国債残高576兆円。財務省広報パンフレットによれば、普通国債残高は1029兆円で国民一人当たり823万の借金になるという(22年度末)=大変だ、大変だ~。

 古典派の経済学は、財政均衡主義を取ってきた。税収等収入の範囲内で使うのが原則。ところが、1930年代に、ケインズ経済に理論的支柱を得て、不況時にアメリカ政府が積極的な財政政策(赤字財政・ニューディール政策)を行って乗りきった。ケインズは、積極的な財政政策により景気を刺激するんだけれも、逆に景気回復の局面にきたら、財政の健全化すなわち赤字回収に努めることが原則としたのです。しかし、実際は、政治的要因が主であろうが、一度予算化したら縮小はできず、景気回復時でも予算の健全化はできないというのが各国の実情ではないかと思うのです。それが、現在まで続いているのです。 

 財務省は、財政赤字をこのまま続けることは、国債の信用がなくなり、通貨の信用にも悪影響を及ぼすというのだ。そこで、そもそも、日本銀行が発行する通貨の量は、制限はあるのか。ないとすれば、極論をいえば、紙幣を刷ればいいだけということになるのだが・・・。

 20世紀の前半においては、(※1)金本位(兌換)制が基本にあって、ドルと金との交換(約束)を前提としていましたので、アメリカが保有する金の量より多大にドルを発行することは抑えられていたのです。日本の円もアメリカドルとの交換比率があったので、円もドルと連動していました。この時代には、金との交換比率の範囲において、制限があったのです。

 ところが、アメリカがベトナム戦争等において経費を使い果たしたため、金との交換を停止しました(ニクソン・ショック1971年)。ここから、金との相対によって通貨の発行に制限があった通貨量は、中央銀行の管理の下のみによって、決められるということになります。

 現実の通貨量を表す計算式が、フィッシャーの貨幣数量説です。                                           <MV=PT>  M=マネーサプライ(貨幣供給量) V=貨幣の流通速度(一定) P=物価水準 T=取引量(一定)     ここで、V=貨幣の流通速度 と T=取引量が一定であれば、M=貨幣供給量を増やせば、p=物価水準 もそれに応じて上昇します。 V・Tが一定であればと言う前提ですが、現実には、景気の拡大・縮小に応じて、多少、上がったり下がったりするように思われます。この貨幣数量説は、例えば第一次大戦後のドイツ経済が、国の貨幣乱発によりハイパーインフレーションを起こしたような大きな動きには説明できる。また、インフレ時に貨幣供給量を抑えるなどの理論的な原理としてはもっともなものである。しかし、貨幣供給量の増加に関しては、それ以下のもの、それ以上のものではないのであって、生産や雇用の増加に結びつくものではなく、貨幣は貨幣(透明人間的)なのである。また、事後説明には、これ以上のものはないのであって、事後的説明に利用可能な計算式なのである。

 そこで、あくまでも、貨幣数量説は、通貨量を決める大雑把な説明にはなっており、現実の予測経済は、それだけでは把握しきれない。事実、日本経済を管理する日銀は、成長率、インフレ・デフレ、通貨の信用・信頼、為替相場等の詳細なデータを分析して通貨流通量を決めていると思われます。

 最近、MMT(経済貨幣理論)というのが浮上している。これは、従来の経済学の常識からしたら、トンデモ経済学になるのだろう。今、私は、勉強中でナントもいえないが、これが一理あるように思うのだ。国家が自国通貨を発行する場合、財政赤字を気にせずに政府支出を増やすことができ、自国の通貨で借金をする(赤字国債等)限り、財政破綻は起きないというもののようです。従来の説と違うのは、財政均衡を取る限り、政府の支出には制限があるのだが、MMTでは、これを赤字国債で賄っても、なんら問題はないというものです。国債は、極論すれば、新たに発行される通貨で返済できるというものです。(れいわ新選組の山本太郎氏の話では、彼はこれによっているものと思われる。)

 私の今の感じ方からすれば、自国での国債を消化する限り(なお85%を国内投資家所有)、また、日銀が市中からの国債取得を最終的に引き受ける限り(日銀の直接引き受けは法律上禁止。)は、大部分は国内での債権・債務者ということになるので、国内での債権関係は、プラス・マイナス・ゼロ(に近い)となる。国債を発行した国にとっては、負債であるが、国内全体で考えれば、債権者もおり、国内経済としては、債権・債務関係はゼロになる。この意味からすれば、この理論は、全く「トンデモ経済学」ではないように思うのだ。

 ただ、少なくとも、インフレが進行するようになれば、それは通貨量が過大ということになり、この時点が通貨量制限となるのではないか。ただ、どこで、どの程度のインフレがあれば、制限となるかは、今後の検討課題とはなるのだろう。

 国債が将来の若者世代に負債を負わせるからダメだというのも、逆に、現実には国債そのものは全世代で買っているので、これは当たらないように思うのだ。むしろ、国債だからこそ長期的な支払いが可能(長期債務の分散)となり、未来への投資的なものも考えられるのではないか。

 なお、国の借金額の多さであるが、森永卓郎氏は、国の公表している連結貸借対照表を示し(2020年末)、負債額は1661兆円であるが、資産とプラスマイナスすると負債は3分の1程度で540兆円になり、さらに日本政府の持つ「通貨発行益」の532兆円を合わせると本来の純債務は、(※2)8兆円に過ぎないとしている。(ザイム真理教 森永卓郎 p54~)

 (※1)なぜ金本位制であったのかは、歴史的経緯からは説明できる(金等の希少なものが使われていた)が、なぜ金と交換を約束しなければならないのかは、必ずしその理由はない。ニクソン・ショックにより、金本位制は廃止されたが、通貨を国が責任をもって管理する以上(信用上)は、問題ないともいえる。しかし、どれだけ流通量を増やすかについては、以下の議論から分かるように不確かなのである。

(※2)そうであれば借金額は、ほとんどないことになり、MMTの理論を借りなくても十分まだ国債を発行する余力を残していることになる。

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