松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

「松山櫨便り」創刊しました

2007-01-30 22:26:34 | 復活奮闘日記
2月1日付けの「松山櫨便り」を創刊しました。
内容はA4の白黒チラシで、ま、学級新聞みたいなノリですね。
江戸時代に見つかった「松山櫨」が主役ですから、
ちょっとレトロな感じのデザインにしています。
活動内容はじっくりまったりとしたペースで進めていきます。
なんせ木の生長ってのは人間みたいに
喜怒哀楽ってあんまりないんですからね。
気を長~くしてやっていきたいと思います。

真っ赤に染まっていた耳納山

2007-01-30 21:45:11 | 松山櫨とは
福岡県久留米市で「櫨(はぜ)」といえば、
まず久留米市山本町の櫨並木が思い出されます。
この櫨並木は、江戸時代、有馬藩の保護・奨励により、
筑後全域で多くの櫨(はぜ)が植えられた名残です。
もちろん久留米市田主丸町もまた例外ではなく、昭和三十年代頃まで、
秋になると耳納山が櫨の紅葉で真っ赤に染まっており、それは美しかったそうです。
残念ながら、時代の変遷と共に次第に櫨の木は切り倒されていき、
今では耳納山で櫨の木を見かけることは、ほとんどなくなってしまいました。