たまたま私が久留米藩における櫨について調べていたところ、
地元田主丸町で発見された「松山櫨」という品種に出会いました。
「松山櫨」とは、田主丸町(当時竹野郡)亀王村の大庄屋であった
竹下周直武兵衛が発見した櫨の品種です。
この品種は、同時代の農学者大蔵永常の大著「農家益」において、
7種の銘柄のうち「松山種を最上とする」と賞された程の逸品で、
他の品種の数倍の値で取引され、筑後全域に広まりました。
「松山櫨」の「松山」とは現在の田主丸町森部地域を指す
場所の名前だと考えられています。
地元田主丸町で発見された「松山櫨」という品種に出会いました。
「松山櫨」とは、田主丸町(当時竹野郡)亀王村の大庄屋であった
竹下周直武兵衛が発見した櫨の品種です。
この品種は、同時代の農学者大蔵永常の大著「農家益」において、
7種の銘柄のうち「松山種を最上とする」と賞された程の逸品で、
他の品種の数倍の値で取引され、筑後全域に広まりました。
「松山櫨」の「松山」とは現在の田主丸町森部地域を指す
場所の名前だと考えられています。