松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

田主丸町で発見された松山櫨

2007-01-31 16:45:17 | 松山櫨とは
たまたま私が久留米藩における櫨について調べていたところ、
地元田主丸町で発見された「松山櫨」という品種に出会いました。
「松山櫨」とは、田主丸町(当時竹野郡)亀王村の大庄屋であった
竹下周直武兵衛が発見した櫨の品種です。
この品種は、同時代の農学者大蔵永常の大著「農家益」において、
7種の銘柄のうち「松山種を最上とする」と賞された程の逸品で、
他の品種の数倍の値で取引され、筑後全域に広まりました。
「松山櫨」の「松山」とは現在の田主丸町森部地域を指す
場所の名前だと考えられています。


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