松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

高田町の江浦祇園大蛇山

2007-07-21 21:50:17 | 美しい風景
今日は高田町淀姫神社で
祇園大蛇山の祭りが行われていたので
見に行くことにしました。

大蛇山といえば、大牟田だと思っていたら
ここ江浦の大蛇山も伝統行事として行われていました。
煙をもうもうと出して、首を振る大蛇。
時には火花を散らして、すごい迫力です。

実は祭りといえば屋台とかが出てるのかと
想像してたんですが、屋台は出てませんでした。
祭りというより、
どちらかというと神事に近いという印象です。

家々を一件ずつ周り、厄除けをしていきます。
赤ちゃんがいるところは
大蛇の口の中に赤ちゃんを入れます。
悪霊退散、無病息災への祈願だと思います。

こういった3つの大蛇山車の他に
一つの踊り山車が出ていたのですが、
それがまたド肝を抜かれました。

踊り=よさこい、みたいなのを想像していたら、
なんと山車の中に座っている女性(大人2人子供3人)が
家々を一件ずつ立ち寄る度に、舞を奉納していくわけです。
舞の曲は演歌とか歌謡曲とかポップもあって
とにかく人々の好きな曲を選んでるようでした。


その舞い手が踊っている間、近所の方たちや
山車の曳き手(全員男)は、じ~っと踊り手を見つめたり、
手拍子を取ったり、拍手したりして舞い手を讃えています。



観衆の中、艶やかに舞う姿を見てるうちに
どこか出雲阿国を思い出しました。
出雲阿国は京都北野天満宮で、その時代の流行歌に合わせて
踊りを披露し、大人気を得て歌舞伎の発祥となりました。
倖田 來未のテンポの速い曲をものともせず
日本舞踊を舞うスゴさ。
まさに現代の阿国です。

高田町江浦の大蛇山は宝暦年間に始まったと言われ
淀姫神社に至っては、建立450年になるそうです。
このような日本の伝統を受け継ぐ神事やお祭りは
全国的にも次第に減ってきており
田主丸町に昔行われていた「二十日えびす」も、
数年前、どこにでもあるイベント的な
「町民まつり」なってしまいました。
その味気ない事といったら。

今回の祇園大蛇山を見ながら、
田主丸町が失ってしまったものを
つくづくと感じてしまいました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-07-22 20:16:07
こんばんは。
大蛇山・・・・私は、幼稚園まで大牟田に住んでいて大蛇山の口のところに抱っこされて入れられたような記憶が今でも残っていますよ・・・怖かったもん・・・大人になって大蛇山見るとそこまで恐怖は感じないんですけどね・・・・子どもにとっては恐怖の大蛇山ですね
返信する
幸運な方ですね! (elster)
2007-07-22 20:36:13
コメントありがとうございます。
確かにさぞかし怖かったでしょうね。写真のように泣いている赤ちゃんも結構いました。でもある意味、幸運だと思いますよ!赤ちゃんを口に入れたお母さんや周囲の人たちは、みな赤ちゃんを大切に思って祝福している人達ばかりです。自分の事しか考えない人達が多い中で、ひとときでも愛情で包んでくれる故郷があるってのは、心の財産だと思います。
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