佐々木博さんの著書『日本の演劇教育』を読む会を開催したいと思い続けてようやく1年3ヶ月たって実現しました。佐々木さんの体調がすぐれないということで延び延びになっていたのです。
87歳になるという佐々木さんは杖をついて大塚の事務所まで来られました。夏に大病をしたということで、さすがに難儀そうでしたが、頭脳はいつものように明晰で、少しも衰えていませんでした。3時間ノンストップの話し合いに丁寧にお付き合いいただき、最後にはこれからの御自身の理論的課題についても4点すらすらと述べられました。
佐々木さんと同世代の平井まどかさんも参加され、熱く劇遊び論を語られました。お二人に圧倒されっぱなしの、幸せで豊穣な時間と空間をいただきました。感謝のみです。
その時のことを求められて文章に起こしました。読んでいただければ幸いです。
■佐々木博『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで』を読む会
福田三津夫(前「演劇と教育」編集代表、白梅学園大学非常勤講師)
著者の佐々木博さんを囲んで『日本の演劇教育』(晩成書房)出版記念会が開かれたのは2018年7月のことだった。参加者も多く、心ゆくまで本の感想を語り合えない状況だったので、私はあらためて『日本の演劇教育』を読む会の提案をし、その場で賛同を得た。かつて、副島功さん主宰「演劇教育の原点を探る」研究会(十数回、市橋久生コーディネート)、それを引き継いだ全劇研講座「演劇教育の原点を探る」(三回、福田コーディネート)に連なる研究会を思い描いてのことだ。
しかし佐々木さんの体調が思わしくなく会は延び延びになっていたが、つい先頃日本演劇教育連盟事務所で待望の読む会を開催することができた。(2019年10月26日)出席者は佐々木博、平井まどか、神尾タマ子、市橋久生、畠山保彦各氏と私の6人。
参加者ひとりずつが丁寧に感想を述べ、佐々木さんにはその都度コメントをいただくという会の進め方だった。
3時間休みなしの話し合いの冒頭を飾ったのは畠山さんのレポートだった。この本を演劇教育研究の基礎的文献と押さえた上で、演劇教育の流れ、関わってきた人々の立ち位置や業績、その理念と進むべき方向性についてなどが読み取れたという。
参加者全員が異口同音に「演劇教育の先行文献になり得る素晴らしい本」「膨大な資料にあたって書き上げた労作」と讃えた。にもかかわらず佐々木さんはいたって謙虚で、原稿の至らなさを繰り返し語るのだった。
この本は冨田博之演劇教育論や演教連運動への偉大なるオマージュになっているだけでなく、それらを引き継ぎ、補強している。佐々木さんはメールで出版理由として「演教連の中に私という人間が存在したことの証かもしれない」と書いている。さらに宮原誠一や竹内敏晴(『ことばが劈かれるとき』以前の連盟とのかかわりに言及)の果たした役割などを活写していることも、当時を知らない私にとっては嬉しいことだった。
そして第4,5章は演劇教育の中心的な課題として竹内敏晴の「語り」とコミュニケーションと対話を取り上げているのは合点がいくし、第6章「学校文化としての演劇教育を」
の提言も検討に値する。
残された課題は、第3章「『ドラマ教育』の登場」の検討で、ドラマ教育、シアター教育、ドラマ活動、演劇教育、演劇的教育、ドラマの教育、ドラマのある教育などの用語の吟味、定義づけなどが必要になると思われる。
最後に、佐々木さんがこれから解明すべき自身の課題として4つ述べられた。(竹内敏晴の変遷、小劇場運動と安保闘争、冨田エチュード方式とリアリズム演劇、演劇教育の目指すもの)それをうかがいながら、冨田さんが亡くなられる少し前の新年会で、取り組むべき10の仕事を熱く語られていたのを思い出していた。
87歳になるという佐々木さんは杖をついて大塚の事務所まで来られました。夏に大病をしたということで、さすがに難儀そうでしたが、頭脳はいつものように明晰で、少しも衰えていませんでした。3時間ノンストップの話し合いに丁寧にお付き合いいただき、最後にはこれからの御自身の理論的課題についても4点すらすらと述べられました。
佐々木さんと同世代の平井まどかさんも参加され、熱く劇遊び論を語られました。お二人に圧倒されっぱなしの、幸せで豊穣な時間と空間をいただきました。感謝のみです。
その時のことを求められて文章に起こしました。読んでいただければ幸いです。
■佐々木博『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで』を読む会
福田三津夫(前「演劇と教育」編集代表、白梅学園大学非常勤講師)
著者の佐々木博さんを囲んで『日本の演劇教育』(晩成書房)出版記念会が開かれたのは2018年7月のことだった。参加者も多く、心ゆくまで本の感想を語り合えない状況だったので、私はあらためて『日本の演劇教育』を読む会の提案をし、その場で賛同を得た。かつて、副島功さん主宰「演劇教育の原点を探る」研究会(十数回、市橋久生コーディネート)、それを引き継いだ全劇研講座「演劇教育の原点を探る」(三回、福田コーディネート)に連なる研究会を思い描いてのことだ。
しかし佐々木さんの体調が思わしくなく会は延び延びになっていたが、つい先頃日本演劇教育連盟事務所で待望の読む会を開催することができた。(2019年10月26日)出席者は佐々木博、平井まどか、神尾タマ子、市橋久生、畠山保彦各氏と私の6人。
参加者ひとりずつが丁寧に感想を述べ、佐々木さんにはその都度コメントをいただくという会の進め方だった。
3時間休みなしの話し合いの冒頭を飾ったのは畠山さんのレポートだった。この本を演劇教育研究の基礎的文献と押さえた上で、演劇教育の流れ、関わってきた人々の立ち位置や業績、その理念と進むべき方向性についてなどが読み取れたという。
参加者全員が異口同音に「演劇教育の先行文献になり得る素晴らしい本」「膨大な資料にあたって書き上げた労作」と讃えた。にもかかわらず佐々木さんはいたって謙虚で、原稿の至らなさを繰り返し語るのだった。
この本は冨田博之演劇教育論や演教連運動への偉大なるオマージュになっているだけでなく、それらを引き継ぎ、補強している。佐々木さんはメールで出版理由として「演教連の中に私という人間が存在したことの証かもしれない」と書いている。さらに宮原誠一や竹内敏晴(『ことばが劈かれるとき』以前の連盟とのかかわりに言及)の果たした役割などを活写していることも、当時を知らない私にとっては嬉しいことだった。
そして第4,5章は演劇教育の中心的な課題として竹内敏晴の「語り」とコミュニケーションと対話を取り上げているのは合点がいくし、第6章「学校文化としての演劇教育を」
の提言も検討に値する。
残された課題は、第3章「『ドラマ教育』の登場」の検討で、ドラマ教育、シアター教育、ドラマ活動、演劇教育、演劇的教育、ドラマの教育、ドラマのある教育などの用語の吟味、定義づけなどが必要になると思われる。
最後に、佐々木さんがこれから解明すべき自身の課題として4つ述べられた。(竹内敏晴の変遷、小劇場運動と安保闘争、冨田エチュード方式とリアリズム演劇、演劇教育の目指すもの)それをうかがいながら、冨田さんが亡くなられる少し前の新年会で、取り組むべき10の仕事を熱く語られていたのを思い出していた。