25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

プログラミング学習のこと

2016年12月21日 | 社会・経済・政治

  プログラミングを学校教育の科目に入れようという意見がある。僕は賛成である。尾鷲市もやれば日本初になるからやればいいのにと思うが、尾鷲市はプログラミングができる人材を養成していないから、他所から呼ぶしかないから難しいことかもしれない。

 僕は前々から尾鷲市に「IT シンクタンク」を作っておくことを主張していた。つまり「プログラミングができる人、デザインやレアイウトができる人、そんな集団である。

 それは今ないのだから、言ってもしかたがないのだが、AIの時代が最近、急速に近づいてきているように思える。人工知能の発展は急速に人間の労働、とくにこも革命の進展は、三次産業を直撃する。

 現在、三次産業に従事するのは、全国で71%

となっている。事務方がこぞって職を失うことになってくる。プログラミングわかる人が最終的な仕事として残ると言われている。

 こんなことができるといいんだが、というアイディアはぼくのなかにもある。ところがぼくにはプログラミングの能力はないから実現できない。せいぜいパソコンを操作するくらいで、それもパソコン能力の10%も使っているのかさえも判断はできない。アプリの作り方は当然わからない。

 学校教育でやるまえに、民間の塾などでやり始めるかもしれないが、ぼくが若ければ、まずプログラミング教室を開くことだろうと思う。学校機関がやらないのであれば、だれかがやれば必ず当たる。2017年はいわばAI元年でもある。

 英語とプログラミングの論理能力は、これからを生きる若い人には必需の能力である。

 人間でしかできない仕事だけが残っていく時代に突入したのである。そしてそれか加速していく。