25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

振り返ってみる 纏める

2020年01月05日 | 日記
 朝の満員電車に乗って通勤することは考えられなかった。会社に入り、上司の小言を言われ(上司は小言を言うとかぎらないのだが)、同僚とは話が合わないだろうと想像し、東京の空の下、どこかの会社に入るための就職活動をすることをやるつもりもなかった。甚だしい就職活動という世界に身を置いたことはなかった。
 しかもスペイン語の授業をさぼり、挙げ句、2単位を落として、卒業できず、留年することになった。教職免許をとるために、母校尾鷲高校で教育実習をさせてもらった縁で、尾鷲高校の講師の席が空いたから、やってみてその間に三重県の試験を受ければいいじゃないかと、教頭先生からお誘いの電話をもらったが、卒業できなかったから、お断りせざるを得なかった。高校での実習は楽しく、好き勝手にやらせてもらったことをおぼえている。
 大学受験のときは前の日久しぶりで会った恭くんと大阪で夜中まで話し込んで、翌朝、京都の受験会場まで30分も遅刻した。東京では別の受験会場に行ってしまい、あわてたことがあった。
 もう少し慎重であるべきだったのに、頭がなんだかぼんやりしていたのだろうか。性格上のことなのか。いまではどっちもだと思っているが、なんとも反省する性格であると未だに悩ましい。
 とにかく、大学を卒業して故郷に帰り塾を開いた。故郷は海と山の町で、ようじゅは人口も3万人以上あって、コンパクトな居心地が、たぶんきっと母の子宮中にいるような感覚だった。だから都会の人ごみを逃れてのびのびとやれたように思う。
 塾は開講早々多くの生徒が集まり、繁盛した。貧乏学生から即結婚式資金を一年で貯めて、今の細君と結婚した。教える仕事をやっていると、自分の説明の仕方や常にシステムとしてこれでいいのかよく考えた。夜中になると、いろいろな本を毎日欠かさずに読んだ。新婚から30歳くらいが一番楽しかったのではないかと思う。塾は成長していき、LLシステムを導入し、それに見合う音声教材を作り、LLシステムと一緒に塾や学校に販売することはじめた。英語圏の人を雇い、彼らが教えられるようマニュアルも作り、要望のある塾や学校に派遣もした。
 東京や名古に事務所をもつことになったが、ぼくが移住して東京に住むことはなかった。会社名称もカーネル出版とし、パナソニックとソニーと取り引きをぢていた。会社はそのご紆余曲折して閉じることにはなったが、これまで69年。オリジナルに作ってきたものが多々ある。会社を閉じてからのほうがよく作ったと思う。経験もそれなりに蓄積されていた。
 昨年はアプリを開発して、精神的には20年のリベンジを果たしたと思う。お金もその開発に注いだ。
 今年はこれまでに作ったものを資産化するために、ゴスペル、ファド、バリの音などの音楽CDや、銀のアロマペンダントや万華鏡ペンダント、5種のオリジナルブレンドエッセンシャルオイル、木彫りのCD立て、木彫りのマグネット、写真集、ボディーチューニングのテキストや動画、各種マッサージのしかた、手順動画、ALTや小学、中学生のための指導マニュアル、その他作ったものをホームページに陳列しいてまとめておこうと思っている。もちろん、アプリもgoogle からだけではなく、簡単にダウンロードできるようにする方法も探りたい。
 書くことの方は「うんぷてんぷ」の続編を書いて置きたい。
 自分の人生は都会、企業から「逃走劇」であったが、もちろん今はこの逃走も終えている。自由にのんびりやっているが、やりきったのか、まだやるべきことがあるほどの余裕があるのかちょっと曖昧である。