25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

文学界

2019年11月08日 | 文学 思想
 森田健作千葉県知事がこてんぱんにやられている。台風15号の時、対策室から出て自宅行き、私用車で台風の状況を見てまわった、ということだ。
 危機に陥ると、なんだかだと言い訳して、ついには言い訳も剥ぎ取られていく様はこれまで何度も見てきた。
 森田健作と言えば、ぼくなどは日本大名作「砂の器」で犯人を追う丹波哲郎演じる刑事とコンビを組んだ刑事を演じたのだった。血の着いたシャツを細かく切って中央線の列車の窓から撒いた女(島田陽子)を近くで見ていた新聞記者(穂積隆信)が「花吹雪の女」という題で記事にした。森田健作刑事はその記事を読み、推理し、その布切れを探そうとする。中央線の線路脇を汗かいて、必死で探すのだった。

 ぼくはこの未来に残る名作での熱演で森田健作に好感を持ったのだった。
 彼はいつの間にか政治家なっていた。
 すぐに謝罪するのがよかった。それができなかった。

 さて、話を変えて、今月もまた「文学界」を買った。村上春樹の短編が掲載されている。それに拾い読みをしたなかで、高橋睦郎が幽界の三島由紀夫に話しかけるエッセイが出てくることでくる。これには興味が湧く。他に筆者は柄谷行人の講演録、蓮實重彦の論文がある。ぼくらより少し上の評論家である。今彼らがどんなことを考えているのか知りたかった。この世界、この日本をどう観ているのだろう。例えば柄谷行人にとってマルクスはどう映っているのだろう。現在の資本主義社会をどう観ているのだろう。
 夜な夜な読んでみるか。故吉本隆明は柄谷行人を結構よく批判していた。フランスあたりからのものをもってきて語る柄谷に「自前の思想で語れよ」とか言っていた。吉本を尊敬する中上健次は仲良しの柄谷をよくかばっていた。そんなことを思い出した。中上健次が死んですでに27年になる。柄谷たちが熊野大学を引き継いでいたが、今はどうなっているのだろう。
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿