25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

老いのゆくえ

2019年09月10日 | 文学 思想
 書店に小説家黒井千次の新書「老いのゆくえ」が並んでいた。気になって手にとり、買った。帯に「人は自らにふさわしい老い方をするより他にない」とある。
 自らにふさわしい老い方か、そういえば尊敬する吉本隆明は老いてゆく日々もさらしながら死ぬまで本を書いていた。西部邁は老いることで、妻が死んだときと同じ迷惑を娘にかけまい、と自裁した。川端康成は老いてノーベル賞を受賞し、老いて若い女性に恋をし、それが原因かどうかはしらないが自殺した。川端の場合は古井由吉が「事故の顛末」という小説にした。恋をしたのがほんとうかどうかはわからないのだが。
 自らにふさわしい老い方とはどういうもんだろう、と考える。自分とは何か、と問と同じように決して結論のでない問のような気がする。自分なんて自分でもわからないように、老い方もわからない。人生の岐路はまだまだ続く。まだまだ岐れ道をどっちにするか選ばなければならないだろう。
 この前新聞広告で、「DVD世界の絶景100選」を見て、買いたいなあ、と思ったが、行きたいなあという思いが勝って買うのを止めた。バリ島で紫色の夕暮れを見たことがある。そういう珍しい風景が世界のあちこちにある。それらを見たいものだ、と思っている。これは実行できるだろうか。その中にはアメリカを車で縦断してみたいというぉともあるし、スラウェシでヤシ蟹も食べたいということもる。
 酒は自堕落に飲んでいる。休みの日というのを作れない。運動もそこそこ。

 黒井千次はすでに85歳である。ぼくなどは黒井千次に言わせればまだ「若造」だろう。昨日一番下の4歳の孫がぼくの歳になるまで、まだ65年もあるのかよ、と嘆息をついたのだった。

 5Gは次の産業革命のインフラだという。中国は今このインフラ整備を進めているという。来る日の革命のために。その片鱗くらいは見たいものだ。

 もう銃撃戦の中で、いつ弾にあたっても不思議でない歳になっている。まだ生ききったという思いもなければ、最高で思い残すこともないということもない。
 黒井千次の文でも読んで参考とすることにしよう。
 


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