25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

衰退

2019年12月03日 | 社会・経済・政治
20年を振り返ってみると、個人的な事情の流れは脇に置き、日本は縮小したのだなあ、と思う。身近なところで言えば、都会の絶好地を除いて、土地の価値が極度に減少した。資産だと思って買った土地はその価値を無くし、姉の夫のお姉さんなどは土地の管理がたいへんで隣に5万円でひきとってもらった、という。ゼロ円でもよかったのだと言う。隣の人が、ゼロ円ではあまりにも、ということで5万円になったらしい。最近、不動産取引に立ち会う場面があって、尾鷲の商店街にある家の持ち主も台風のたびに心配して、売ることに決めた。放っておいたら、200万円か300万円かけて取り壊さなければならない日がくる。
 取り壊し代を払ってまでも売る人もいる。多くの地方の町では土地価格が下がり、家はお荷物になる、という状況である。

 小浜逸郎のブログで氏は「貧困化した日本」というタイトルでブログを書いている。データ資料もそろえている。このブログを読めば、だいたい日常的に感じているこの20年の変化がわかる。一方自民党の片山さつきもテレビ討論番組でデータを出してくるのだが、経済はよくなっているの一点張りで、都合のよいデータをグラフにして宝物のように出してくる。データというのは都合のよいように変えることもできるトリックがあることもぼくは知っている。片山さつきのデータはぼくの実感に合わないが、小浜氏のデータ、および解説は実感を伴う。

 日本の生産人口は減っているから「一億総輝き社会」と言って、女性、高齢者への労働を促す。それで一人当たりの生産性が上がればいいが、上がらない。日本は減りゆく人口社会の中で、一人当たりの生産性を上げていかなければならない。このことに注力する意見をテレビなどで聞いたことがない。

 自民党政治とは一度既得権益を得たら動かない政治を行って票を獲得する政党である。また数と質をコントロールする政治である。タクシーの台数や医者の数、弁護士の数まで決めるのである。普通、数までもコントロー-ルする必要はない。数をコントロールするとこれ以上増やさないというような団体が出てくる。
 これに現在の自民党は「忖度政治」を黙認する党となっている。

 貧困化するとなぜ悪いか。教育の質が下がる。モラルが荒れてくる。アポ電強盗のようなものだ。さらに自民党政策だと貧困が固定化する。流動化することがなくなる。弱者が這い上がれる。強者が弱者に換わり、その弱者はまた捲土重来が許されることが必要であるが、自民党の既得権益保護が主たる方針の党であるから、いつまでたっても新陳代謝はしない。ダメな産業、零細、中小企業には退場してもらうか転業してもらえばいいのに、補助金で保護して塩漬けにする。

 野党はひとつになって明確な対抗軸をわかりやすい言葉で言えなくてはならない。共産党は名称を変えた方がよいと思う。すでに彼らの主張は共産主義ではない。共産社会はまだ時代の先にくるものだ。この社会の衰退を野党もチマチマ仲違いしてないで、大同につくべきだ。

 ぼくは感覚的に小渕総理あたりから日本はおかしくなってきたな、と思っている。そして決定打となったのは小泉純一郎ではなかったかと思っている。その頃は小泉大フィーバーであった。派遣社員制度が始まろうとしていたのに、国民は呑気に小泉に熱狂していた時代があった。



 


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