25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

渡利ガキ

2016年12月07日 | 日記

  毎年、この時期楽しみにしていた殻付きの「渡利ガキ」が今年は成育不良で、オトトや魚店にでてこない。いつも歳暮は「渡利ガキ」と決めていたので、困ったことになったと思っている。しかたないか、と思っていて、鳥羽の方には「的矢ガキ」があるではないかと思いつき、早速検索してみると、これが高い。今まで買っていた殻付きガキの2倍以上の値段がする。それで、渡利ガキの生産現場に行ってみることにしようと思い立ち、昼から出かけた。産地直送だけが精一杯で店に卸すことができないのかもしれない。

 白石湖は海と川がつながった湖である。このちいさな湖で7つの業者が牡蛎養殖をしている。

 牡蠣殻を削る人一人、ナイフで身を取り出す作業をやっている女性一人、話しかけると、もう予約分だけでも足りず、店には出せないし、僕のような突然くる客のものはない、と不機嫌そうに言う。

 7店全部まわっても同じことだという。特に湖の奥の方にある筏の牡蠣は8割り方死んだという。しつこく、その理由を訊くと、夏の水温が高かったのと、台風が来ず、プランクトンを運んでもらえなかった、という。

 「そういえば近年、尾鷲に台風来ない。大雨もないなあ」と僕が言うと、

 「台風がかき回してくれて、水温が下とええんやけどな。毎年減ってくんやがな。台風がこんので、だんだんと商売できんようになってきたわ」

 11月の始め頃に、予約が入っていた分だけで終わったらしい。

 しょうがないので、またスマホで検索すると、鳥羽には多くの業者がある。そして一個あたりの料金もまちまちである。結局鳥羽の牡蛎に決めたのだった。

 それにしても、海の温度で左右される商売もきついもんだ。鳥羽の水温は大丈夫だったのだろうか。

 

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家族大集合。グループ旅行、釣行、熊野古道散策に、尾鷲市 曽根貸別荘

 





 

 


世界をつくった6つの発明

2016年12月04日 | 社会・経済・政治

 「世界つくった6つの革命(ステーブン・ジョンソン著 朝日新聞出版」という本を読んでいる。全米ベストセラーに躍り出ている。副題は「新・人類進化史」である。

 普通、歴史と言えば、年表順に誰が政権をとり、どんな時代であったか、文化、経済はどうだったか、そんなものである。ところがこの著者は、視点が全く違う。ガラス、氷、音、清潔、時間、光 というものから歴史を語るのである。

 すると、おもしろい庶民の姿や意外な発展の歴史が浮かび上がってくる。

  ニューイングランドに住む大金もちの息子が熱帯の中南米を旅した時、氷がないことに気づく。この地域に氷を売ればさぞかし儲かるだろうと、社員を派遣し、氷代理店を作るように命じ、自分は大型の帆船を作る。ところが熱帯地方の人々は氷がわからない。シャーベットや飲料水に入れればきっと使うだろうと思い、力説するが、熱帯の人々は理解できない。おまけに、近くの池から切り取った氷はだんだんと溶けていく。いまから思えば馬鹿な話だが、本人は真剣である。すべての財産を投げ打ち、借金を返さないということで、当時刑務所にいれられても、彼は頑張る。やがて、船上でも溶けてしまわない輸送方法を考え出す。船中でむしろを敷き、その上にまたむしろ、という風に氷を重ねるのである。やがて、熱帯の人々は氷を理解するようになり、彼は巨万の富を築くのであるが、氷が部屋の空気を冷やすということまでは知らない。彼はここまでだ。科学者ではなかった。しかし、氷は肉類や魚類をが腐るのを長引かせることにも気がつかなかった。

 氷が部屋を冷やす。食料を長持ちさせる人工氷を作ろうとするものが現れる。すでに電気もある時代である。

船でインボンベイまで運んでいたのだからすごい需要があるはずだ。ここから冷蔵庫の開発が始まり、冷凍庫の開発、さらに小型化の研究が始まった。それをてがけたのはさきの青年ではない。すでに、彼は世にはいない。

 瞬間冷凍技術も開発された。今では女性の卵子まで冷凍保存ができて、100万人をこえる人間が生まれ、暮らしている。氷によって、砂漠に都市もできるようになった。氷のなかった国々に大会都市ができるようになった。人々は夏は涼しく、冬は温暖な暮らしができるところに徐々に移動した。

  15000年間前にリビア砂漠に層として眠っていたガラスは、現在、眼鏡、鏡、窓ガラスと発展し、顕微鏡、望遠鏡はいうに及ばず、ついにグラスファイバー、光ファイバーへと発展した。

 ネアンデルタール人が洞窟に描いた絵には、それに伴う音があったことがわかった。洞窟の一番音が響き、共鳴し、こだまする場所に点を打った。音は音楽を生み出し、電話に発展した。

 人間がちょっとづつ積み上げていった結果をぼくらは普通のように、当然のように享受している。あらぬ方向にいくもの、偶然に発見するもの、忍耐を重ねるもの、大失敗するもの。歴史を考える上で、相当に役立った。さすがベストセラーだ。

 

  

 


尾鷲の政治家

2016年12月04日 | 社会・経済・政治

 ポピュリズムというのは、テレビ、新聞、雑誌などで、善きにつけ、悪きにつけ、囃されること言う。橋下徹は民主主義で、ポピュリズムは当然のことだと言う。そして、メディアは下品な発言の言葉尻だけを捉えることだけでなく、そのメッセージの核を伝えるべきだという。

 これはパラドックスである。つまり、メディアで有名にならないと、政治の舞台の雛壇にはいけないということも意味する。そのことを認め、ポピュリズムを認め、メディアのあるべき姿を言うといのは、何なんだろう。

 まだ橋下徹はメディアにおべっかを使っている。これをリアリズムと言うのだろう。

 日本はもとも閉鎖的で、反移民国であったから、国民はピンこないのかもしれない。イタリア、オーストリア、フランス、ドイツさえも反移民、脱EUを唱える政党が政権取る勢いである。トランプ影響もあると思える。来年、ドイツのメルケル首相が選挙で負けると、EUはどうなるのだろうか。極右でまとまるのならば、EUは生き残るのかしれない。

 トランプアメリカ次期大統領とロシアのプーチン大統領が組んで、早々にシリアのアサド政権を擁護しつつ、ISを掃討し、ヨーロッパへの難民を帰還させるのかもしれない。

 ポピュリズム。メディアによって生まれる現代の政治家。現在メディアはエスタブリッシュのひとつである。

 大金持ちや二世、三世が政治舞台で、いい格好できるのも、メディアのおかげである。

 下層からも、中間層からも政治家がでてこれる社会が必要である。

  日本はヨーロッパ先進国やアメリカなどの動きをあわてず、見物しているのが最善のように思える。本当はトランプも中東の政治などに、関与しなくてよいとおもう。放っておいて、歴史にまかせればよいのだ。ヨーロッパ各国がiminnを受け入れないのなら、それもいたしかたがない。かれらは、イラク、シリアで国造り励めばよいのだ。その支援を他の国々すればよいのだと思う。

 閑話休題

 尾鷲市必要なこと

 それは「知恵」である。尾鷲市もすでに瀬戸際にきている。また裏の政治好きがしゃしゃりでてくるような、それを頼るような政治家だけはごめん蒙りたいものだ。

 

 

 


芍薬、牡丹を植える

2016年12月03日 | 日記

 時期がちょっと遅いかもしれないが、牡丹2つと芍薬ひとつを植えた。この前木瓜を植えてもらったのをもの真似して、化学肥料の粒と堆肥をまぜ、土を掘って、植えるのである。立てば芍薬座れば牡丹、というから、どちらもよく似た大きな花が咲く。昨日、コメリで、日本芍薬と西洋芍薬があって、戸惑っていたところ、お年寄りの女性がいたので訊いてみたところ、「

うちのがよく知っとるから、ちょっと待ってい」

といって連れ合いを連れてきてくれた。このご夫婦、旦那さんのほうが花好きらしい。

「日本芍薬は弱いでなあ。外国の報告が強いで」

といって、猟にいくときに芍薬もとってくるが、なかなか何年咲かせるのが難しいらしい。

 僕は西洋芍薬にすることにし、どこに植えるかを考え、実行したのである。これで、山茶花、ハナミズキ、

紫陽花、木蓮、百日紅、金木犀、木瓜、牡丹、芍薬の花を愛でることがでいるかと思うと嬉しい。日がいくあたる場所にどこかから種が飛んできたのか百日草が咲くようになった。そういうところに芝桜で植えてしまおうかと思ったりする。

 コメリで買い物をしたとき、知り合いの女性に会った。「尾鷲に帰ってきて何年になるん」

ときいたら、「もう8年なのよ。もう退屈でねえ。前のところに戻りたいわ」

  そうなのか、そんなに退屈なのか。この人は都会で育った人だった。花でも愛でれば、と思ったが、口にはださず、都会は動くにもかねがかかり、遊ぶにも金がかかるが、釣りはただだし、貝採りも、山菜とりもただである。僕は退屈と思ったことがこれだけ時間があっても思ったことがない。頭の中原は僕なりにいろいろ思いを巡らせているのだから。

 最後に水をたっぷりやって、植え込みを終わりにしたら、びっしょり汗をかいていたので、冷えたらいけないと思い、下着を急いで替えた。それなりによい日曜日であった。夜はウィスキーちょっと嗜む。

 

 


メンチカツブルース

2016年12月02日 | 音楽 ポップス

 福島から転校してきた生徒に担任の先生が

菌」と名前につけて呼んでいたというニュースをみた。公務員のこずるいのは、当の担任がでてきて、会見するのではなく、教育長だのだのが出てきて報告をし、謝罪することだ。権力に庇護される大人の教師。これでは子供ではないか。ぼくは一家心中をした父親に同情したり、部下をかばって責任を回避させる日本の慣行に辟易する。

 さて、桑田佳祐が落語やりながら、下ネタを当然出しつつ、最近作った歌を「songs」で四曲歌った。すでにぼくは「悪戲されて」と「君への手紙」は知っていた。ところが、「ヒレカツブルース」は知らなかった。なんでも「さんま」「たけし」「タモリ」がが歌詞に出てくるという噂は知っていたが、聞いたのは初めてだった。これだけ気持ちよく遊べたら、なんと音楽は楽しいものだろうと思う。昭和歌謡に特別な思い入れがありそうで、ぼくらなんかは、それがわかるので、よけい面白い。桑田佳祐バンドのギターを担当するギターリストが「関ジャニ」の番組にでてきた。すると、桑田佳祐はレコーディングするときの音作りには、ギターでの表現の仕方に、こうしろ、と弾いてみせるのだそうだ。そして一度きめたら、もう変更はしないのだそうだ。

 話を元にもどせば、もしも桑田佳祐が、矢沢永吉が失敗を起こせば、みずから責任をとると思う。民間はみなそうだ。

 庇護されて、大人ぶったことをいくらいったって、子供は全部お見通しだと思う。子供というのは、先生の人格などはちゃんとわかっているものだと思う。ただ言葉にできないだけだ。意識して権力に対抗できないだけだ。

 テレビも小池百合子と朴大統領のことだけをやっているようにみえるが、稲田の政治資金のことや、小渕優子のコンピュータを壊してまで隠したことをなぜ暴こうとしないのか。彼女ら、または政治家はなぜ責任を追及されないのか。うんざりすることだらけであるが、小池百合子は潔さそうな気がする。不満たらたらである。