南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆特異な?日本人

2011-05-23 23:40:42 | 人間

今どき海外で仕事をしている人は特別ではないし、これからも、どんどん増えるでしょう。しかし、自分から望んで、となると、ちょっと特殊になる。おそらく、海外で仕事をしている日本人の大部分は辞令によって日本から出た人たちでしょう。私のように望んで、海外で仕事をしているのは、特殊な日本人の一人に入るかもしれない。ただし、こういう人もそう珍しくない。

その私が、考えさせられた人がいた。その風テンの寅さん、といっても、かなり紳士に見えるし、どうみても、どこかの会社のトップに近く見える。その人と、最期のゴルフを一緒にさせてもらった。間もなくタイへ行ってしまう。バンコクかチェンマイに三カ月ほど滞在して、その後のことはまだ、決めていない。滞在ビザの期間のことで分からないところがあるので、どのくらいの期間滞在するかは、入国してみないと分からないらしい。彼は、早稲田の理工を出身、団塊の世代の真っただ中の人、その時代にこの学歴は相当の秀才である。国立では東大の理一、私立では早稲田の理工と云われていた時代です。学園紛争のピーク時でもあった。卒業後大手ゼネコンに入社、海外の建設現場の監督を長期でやっていた。日本の援助資金で学校や病院の建設に係わることが多かったという。

それが、50才を過ぎたころ、15年ほど前から、退社して、しがらみから離れて、海外のあちこちに移動しはじめた。日本へ寄ることはないそうです。海外から海外へといどうしている。資金は、海外勤務の時の給料と今は年金も追加されているので、悠々たるものらしい。シティーバンクに預金をしてあるので、世界中どこでも自由に引き出せる状態になっている。航空券も賢く格安を手に入れることが出来るし、宿も安宿で十分、順応できるので、困ることは何もないそうで、ネットも今は日本より遥かにWiFi、ワイヤレスランが発達しているので、どこでも只でアクセスできるという。各地の情報を収集したり、何かを予約したりするのももっぱらネットで済ましてしまうそうです。この順応性というか、融通性というか、余裕たっぷりである。

インドネシアの旅をしていて旅先でこういう日本人に会ったことはないし、こういう日本人がいたという話も聞いたことが無い。しかし、いることはいる、と、分かった。

こういうことが出来るということがすごいと思う。色々な原因、理由があって、私には同じ様にはできない。出来てもしない。そして、こうしたいとも思わないし、羨ましいとも思わない。人それぞれに生き方の状態に思いがある。生き方の問題です。だから、「できる」と「する」は次元が違う。

アラックを作る原料になる椰子の木のような実、と、椰子の木の二種類

風テン できる 別れ

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