貧困や搾取から逃れようと人は祈る。だから、それを叶えてくれるであろう、祈る対象が必要になる。人間が地球上に出現して頭脳が発達し、いろいろ考えるようになり、記憶するようになり、欲望が生まれ、神のも仲介者にも欲がある、やはり人間と同じです。だから、人間でしょう。神は人間が考え出したものです。人間がいなければ、神の概念はなし。神が云うことは、「自分の欲を捨てて、私の云うことに従いなさい」と欲張ります。見事に欲を丸出しです。「そうすれば、あなたの望みはかなえられます」「天国へ行けます」といい、人間の欲望を認め、欲がかないます、と、云っているのです。
矛盾ですよね。意味が分からな~~~い。私の頭は変でしょうか。人の大部分は神に祈っているのです。だから、殆どの人間の中に神はいるのです。分からな^^い。私は何か目に見えないものや偶像などに、私の願いを叶えてくださいとお願したことはない。初詣などで、皆さんがやるように、賽銭を投げて手を合わせたことはあるが、レクレーションの世界です。賽銭は伝統的建築物保存のための寄付金です。お墓参りは先祖に対するお礼です。もう駄目だ、死ぬ~~と思ったことが何度かあります。そういうときも、何かに祈ったことはない。変でしょうか。
学生時代に、私が先行した化学とは直接関係なかったが、数学は大好きだったので、品質管理の手法や数理統計学、推理統計学を自主的に学んだ。そのころはアメリカのデミングという品質管理の権威の影響が非常に大きかった。第二次世界大戦の時、米軍の武器生産や補給、兵站に手法は使われて、品質を上げたという話は良くきいた。日本の企業はこぞって、その手法を学び取り入れて、全産業においてアメリカの品質に追いつけお追い抜けと躍起になっていた。現場の隅々まで、上から下までQC,QCと染み込んでいった。QCサークルと云って、小グループに分かれて、品質向上、合理化に競争しあった。発表会も花盛りだった。私も、大学時代に学んだことが大いに役立ったと思った。新技術の開発にその手法も使った。会社の先輩、上司連中にとっては、新たに学ばなければ、ついてこれない世界だったようで、真面目な人にはかなり負担だったと思う。
大企業ではデミング賞を受賞することが目標であり、ステータスだった。受賞すれば、主要新聞の経済面に大々的に紹介され、会社の信用を一躍高めることになった。
これが、私が入ってしまった新興宗教でした。猫も杓子もQC,QCと唱えていた。私は、その宗教を広めようとは思わなかったが、知っていたし、役立ちもしたので、信者の一人になっていた。作業標準やなになにスタンダードやないなに基準書を先頭に立って書いていた。
当時、これも一種の宗教で民青という共産党の下部組織で若者の共産主義者を育てる組織だった。彼らは生産の合理化や生産性向上などと云う経営者の為だけにしかならないと思っているので、利益の配分や労働時間の短縮などを訴えるだけで、経営者と一緒になって、その、原資を増やそうという考えは全くなかった。そこで、私は労働組合の委員長に立候補し、民青メンバーと争って、私が委員長になった。23才~25才まで務めた。時代の後押しもあって、急激な利益向上と大幅なベースアップと年休の大幅増などを達成した。
その当時、一種の宗教にはまり込んでいたと思う。祈ったことはないが、こうすれば、皆さんをいい方向に導けると信じた時代でした。
ちょっと前に書きましたが、現在はISOが新興宗教になっています。教祖様は膨大な利益を得ているし、伝道者も大きな恩恵を受けている。いつまで、続くのでしょうか。インドネシアでは大統領と副大統領の写真額の直ぐそばにISO認定の額が掲げられているのが普通になっている。
ドイツとインドネシアの可愛い
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html
新興宗教 預言者 伝道師