南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆南の天国と恐怖

2011-05-15 23:09:11 | 旅行

お話は、別の世界に変わります。また、旅に出ました。どこへかというと、フローレス島の西の端、プラブハンバジョという町にいる。何故ここかと云うと、すでに行ったことがあるフローレスのクリムトゥとコモド島の両方に行ってみたかったし、その間のフローレス島の雰囲気もこの目で確かめたかったからです。

 あさ、05:00に家を出てスカルノハッタへ、08:30発ウングラライ(バリ)行きのライオンエラーでジャカルタヲでた。ボーイング737、満席で400人以上は乗っていたと思う。バリから13:00発の、機体を見てびょっとした。例のムルパティがパプアに南の海についらくして25人全員亡くなったという事故があったばかり、同じ機種Xian MA-60だった。新しい、多分2008年ごろのものだと推測する。ブラックボックスが回収されたのは知っているが、大統領が事故の原因究明を急ぐようにと云ったばかり、まだ、原因がわかっていなし、事故がインドネシアだけではなく、他の国でも起きているから、この機種では無いことを願っていた、ライオンよ、お前もこの機種を買っていたのかと思った。

 数え切れない回数、飛行機に乗っているが、落ちるのを心配たことはなかったが、今回は、落ちないことを願った。そして、今日ほど真剣にキャビンアテンダントの説明を真剣に聞いたことはなかった。そして、直ぐそばの非常飛びだし口の扉の開け方を読んだ。もっとも、今日のアテンダントの女性は秀逸だった。2番に座った私のすぐ前いて、私と目が合うことが多かった。飛んでいる最中は危険な飛行機ということを忘れてしまっていた。それほどが高くない飛行なので、下の景色も良く見えた。スンバワから東は多くの島が点在していて、これも、危険を忘れる条件の一つだった。

 無事に着陸してほっとしたプラブハンバジョ空港の名前はコモド空港でした。丘の上にあるが、本当に島の西の端から二三百Mにあった。街は車で10分ほど丘から下りて海沿いの港町。本当に田舎の町である。それでも、コモド島への出発港なので、欧米人の姿が目に付く、また、観光ガイドの店も多かったし、ダイビングの店も多かった。

 

 町はずれのジャヤカルタというホテルに今いる。今日一日はただホテルに到着しただけで、ほかのどこにも行っていない。テレビではムルパティ墜落機の残骸を何度も写しだしているし、パイロットの葬式の様子も流していた。帰りに、また、同じ機種に乗ることになると思うと、気が重くなる。

  流石にホテルからのサンセットは美しかった。沖の三角おにぎりの島々も一興だ。

 

天国 憩い 気楽

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