南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆パニック障害

2011-06-15 23:15:56 | 複雑

その後どうなっているのか、私のパニック障害は。日本へ帰るたびに県立病院へ行って、袴田先生と世間話と私のインドネシアでの様子を話し、決まった薬を決まった数、処方してもらいます。それが、私の安心です。脈が飛んでしまって、めまいを起こしたり、過呼吸になって体中がぞっと冷たくなり、がたがた震えがきたりする、メインのとんでもない症状は、パキシルやコンスタンを飲んだ直後からなくなってしまい、その後も、その症状は全く出ていません。気管がふさがったような呼吸困難や脈拍数が200以上になって頭に血が上り、がんがんする症状も無くなった。ということで、パニック障害の症状は、パニック障害だからと断定できるものは無くなった。ただし、口の渇きが早くて、話をしずらくなる。涙の分泌が減ったようで、運転をしているときは特に目が乾き、目薬を離せない。など、パニック障害の前兆とも思える症状は今もある。しかし、これで、パニックになることはないわけで、パニック障害の症状とは言えない。歳の所為か、無茶な行動の所為か、そちらが原因ではないかと思う。

結局、今、振り返ってみると、パニック障害と病名を断定されたその日の夕方に、パニック障害は治ってしまっていたのです。

症状、心臓の鼓動が一時停止する、これは、24時間ホルダーでも、実際何人もの医者が手首を抑えて確認している。その時、なるほど、あなたは嘘を言っていない、程度にしか思ってくれなかったような気がする。事実、その症状に対し、誰も手を打とうとしなかった。私はそれが大変不満だった。大丈夫、死にはしないよ、いちいち、大騒ぎをしなさんな、と言っているように感じた。実際そう言った医者も何人かいた。

もう一つ、私が不満だったのは、心臓の脈が消えて、くらっと、来る、その直前、1秒くらい、体のどこか、場所は決まっていない、足のどこかだったり、お腹のどこかだったり、どこかの指先だったり、チンチンの先っぽだったり、耳の中だったり、とにかく場所は出鱈目なくらい、あちこちでした。針の先でちくっと刺されたような、一瞬(0.1秒)痛いと感じることもできないくらい、チクッと感じるのです。そのチクッがあれば必ず、クラッとなった。其のチクッが来るのが、今来るか、今来るかと、来ていない時も不安だった、そして、来る時は、何箇所かで連続で来る、その時は、連続でクラッとする。もう、立っていられなくなり、坐ってもいられなくなり、床に横になるしかない。そういう時は、もう、これで、この世ともお別れかと思う恐怖に襲われる。

それを、二カ月間、インドネシアでも日本でも多くに医者に話した。専門がそれぞれ違う医者に話をした。しかし、誰一人、そのことを真剣に受け止める人はいなかった、殆ど、聞き流されてしまった。多分、その医者たちは、そういう話を今まで誰一人からも聞いたことが無かったのでしょう。そして、そのチクッという感覚も全く想像できなかったのでしょう。症状の説明をしても無駄だと思うようになった。

勿論、同じ会社の、パワハラ担当の日本人は、頑固者が日本へ帰れて言っているのに、言うことを聞かないで、インドネシアで粘っている、迷惑な話だ、と周囲の人達に言っていたという話を後から聞いた。帰った時は逆に、帰るたな、と言ったのに、いうことを聞かないで帰ってしまった。自分勝手な奴だ、と周囲の人に言っていたという話を後から皆さんから聞いた。悲しい人たちだと同情しますが、彼らの病気は重症だし、言い薬はないと思う。

http://www.karacli.com/panicdisorder01.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 

本当に参ってしまった。こんなに参ったしまったことは、後にも先にもなし、だから、薬を飲んで、チクッ、が無くなったときの喜びというか安堵は私にしか分からないでしょう。5年前の話でした。

インドネシアのある場所のあるところ

パニック障害 パワハラ 無理解

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