南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆グロドック2

2014-12-18 22:36:03 | インドネシア

 2162 風花(カザハナ)が舞った。一年に一回ぱらつくかどうかの静岡平野、12月に雪かカザハナが舞うのは、非常に希だと思う。静岡では、これがニュースになっている。台風並みの低気圧が東北地方に発生、成長して、強烈な寒波が日本に居座っているという。日本海側からの等圧線の間隔が狭い。グリーン上のボールが動いてしまう。

 

私が、グロドックへ始めて行ったのは、赴任したその年、1996年でした。何を捜しにいったのかは、覚えていないが、スパイラルチューブや配線ダクトやナイロン丸棒やプレートが売られていのには、びっくりした。その後、数年の間に10回以上は行っている。今も、そうだと思うが、土曜日の午後と日曜日、ナショナルホリデーは営業をしていない?それを知らないで、土曜日の午後行ったこともあった。比較的新しいLindeteves Trade Center (LTC)や道を隔てたパサール グロドック(Pasar Glodok)は営業しているかもしれません。とにかく、最近、5年ほどは、行っていない。というのも、行くなら、自分ひとりで運転してゆくので、渋滞が酷いジャカルタへ平日には行きたくない。それと、今は、エースやカワンラマが代表的なホームセンターがチカランなどにあるし、グロドックの支店として進出している個人商店もあって、そこに、ない部品でも、翌日には、本店の方から取り寄せてもらえるようになっているからだ。

 ただし、身近で捜すことができなくて、どうしても、すぐにでも必要ということになれば、やはり、グロドックへ行って捜すことを最後の手段とするしかないと思う。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage112.html

 

余談だが、1998年5月の大暴動の二日後に暴動の爪痕を見にジャカルタへ行った時、屋根のある橋は真っ黒焦げになっていたし、パサール グロドックも完全に破壊されていた。しかし、営業は勿論していなかったが、昔からある小売商店のある一角は進入された跡はなかったし、入り口は装甲車で塞がれていた。

 

この辺り、北ジャカルタは、中華系の人が多く住んでいるし、グロドックの商店やビルのオーナーもチャイニーズがほとんどで、暴動の時も、ターゲットにされたのでしたが、破壊されなかったのは、その人たちが軍に支払ったのだと思う。Pluit Mall Lippo cikarang Mallなどの中華系のShopping Mallも戦車や装甲車がガードしていて、何事もなかった。これは、プラブーさんや軍が事前にこの暴動を知っていたことになる?

最終 手段 中華系

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