2442 PT,ENDOTA SINAR INDONESIAのカンパニー プロファイルです。
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ダイレクターが交替し、その新ダイレクターが、会社の責任者になりました。Frensi(フレンシ)君です。コミサリスのエンダンさんの義理の弟です。押出成形というより、製造業は全く素人ですが、事務関係は経験が豊富で、客先や供給者への対応は、前任者のようなことはあり得ないと思う。英語力は充分です。
1996年8月に初赴任して以来、19年を過ぎた・その間、どのくらいでしょうか、日本の会社でも仕事をしたことがあるので、実質は17年くらいだと思う。53歳から72歳である。マダ、終わった分けではないが、そう長く居続ける分けにも行かない。あと、何カ月?何年?
ところで、自覚が無かった時期も含めると、パニック障害に掛かった期間は1年半ほどだったと思う。大変な目にあったが、それを克服し、インドネシアに居続ける理由は何でしょうか。
先ず、仕事、押出成形の仕事、新しい製品、インドネシアでは誰も手掛けていない製品を作り出すことに喜びを感じている。出来あがって、客先に提供した時の快感は、日本でも、インドネシアでも、歳を取っても同じこと、チップインバーディーを取った時の喜びだ。一年に何回か、数回はない。
次が、インドネシア人に私の技術を伝える事、そして、押出成型への取り組み姿勢を伝えることです。製品をできるかどうか自分で判断し、引き受けたら、全て、自分の責任で製品を作らなければならない。技術を売るのだから、営業するにも樹脂に知識や技術を持っていなければならないことは、言うまでもない。それらのことが、私に合っているので面白い。止められない、止まらまい。
気候が合っている。日本の家は静岡市だが、温暖で住みやすい地域、街だと思う。夏、35℃をこえることはまれである。冬、零下になる日は少ないし、なっても、せいぜい、一度か二度である。雪はほとんど降らない。そんな場所でも、私にとっては、暑すぎるし、寒すぎる。住みにくい。その点、インドネシアは、30℃以上になる事は希だし、寒く感じる時でも明け方の高地で20℃くらい、雨季のジメジメだけが気に入らないが老人の体にとっては優しい環境だと思う。デング熱や鳥フルなどを気にしなければ、快適だ。蚊の襲来には、参ることがある。
エンダンさんの会社を軌道に乗せなければならない。アブドゥールをダイレクターにしたのが大間違いだった。1年を無駄にした。新ダイレクターになって、ゼロからではなく、マイナスからのスタートやり直し。直ぐに、出て行ってしまうわけにいかなくなったが、方法は、色々あるので、考えようと思う。これは,居たいという理由ではなく、いなければならないという理由になる。
引取機と自動カッターの様子を見ながら、近くの押出成形会社に寄ってみた。この会社は、PT,T社の工場長だったWさん(つい、一か月前ほどに、15年勤めた会社を止めてしまった)が5年前から弟にやらせた押出成型工場だ。そして、今は、この会社に来て、アドバイスをしている。この人も私の生徒の一人だ。この工場の金型も、私が教えたものを使っている。PPパイプの成形では、こんな場所にも、私の影,足跡があるのです。
この会社に至る道。工業団地ではない、バラックのような住宅が並ぶ一角にある。この道の向こう、右側に押出7ラインがある工場があります。前まで行って、中をのぞかないと分からない。主に、軟質塩ビの異形品やチューブを作っている。
生徒 独立 足跡