南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆回顧と現在

2016-07-24 22:33:02 | 

 2746 あるものを買いに、久能海岸沿いの店へ行ってきた。これも、インドネシアへ持ってゆくものだ。その途中の海岸通り。

 

帰ってきて、家の駐車場から出て玄関に向かう道で目に入る状態。四年ほど、剪定をしていないので、うっそうとしている。

 

太田化工の社長を辞めてから23年ほど過ぎる。50歳で止めて、相談役になり、責任者から無責任者になり、約二年後のインドネシアへ行ってしまった。そして、相談役という役職も止めてしまった。単なるインベスターになっていた。そして、今は、資本も全部譲ってしまって、単なる創業者だったということになっている。日本にいるときは、気軽に、のぞきに行っている。途中、コンビニで、弁当を買って、食堂で皆さんと一緒に食事をしながら、世間話をする。

 

昨日、話をしたことは、私が社長をしていたころの取引先の社長の消息についてだった。数社、主な会社があったが、全てが当然、社長は交替している。それらの会社の社長さん、全て、創業者で、私より5歳以上15歳未満、上だった。私ほどではないが、皆さん、若いうちに自立したのでした。当時は、そういう、個人会社のようなものが多かった。名古屋に二社、東京に三社、静岡県に二社だ。そして、それら、すべて、今も取引が続いているそうだ。

当時の社長さん、既に三人亡くなっていたことは知っていたが、昨日、もう一方、亡くなっていることを知らされた。今年、5月だそうだ。そしてその人は、5歳しか違わない人だった。

残りの二社は、息子さんが社長になっているが、本人は、会長で頑張っていて、社長よりも煩く、今でも、太田化工の今の社長に対し、工場長と言っているという、うるさく、文句を言ってくると言いう。

そして、もう一社、引退し、他人に会社を任せ、悠々自適?の方がいる。その人とは、今でも、個人的にお付き合いさせていただいている。

 

全ての方々は、多いに、お世話になった方々でした。

20年以上も過ぎれば、そんなものでしょう。そりゃそうでしょう。太田化工も今の社長は30歳でなったが、既に53歳になっているのだから。

 健在 回顧 他界

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